「医学のあゆみ」リスク・コミュニケーション

 医学のあゆみ 239巻10号 2011年12月3日 原発事故の健康リスクとリスク・コミュニケーションにリスク・コミュニケーション関係の論文5篇が載った。東日本大震災時に起こった福島第一原発事故を受け、リスク・コミュニケーションの重要性を指摘したものであり、示唆に富む内容が含まれている。重要と考えた点を抜き書きする。


<論文>

  • リスク・コミュニケーションとは……堀口逸子・丸井英二(順天堂大学医学部公衆衛生学教室)
  • 危機的状況におけるリスク・コミュニケーション……吉川肇子(慶應義塾大学商学部社会心理学
  • レポート:リスク・コミュニケーションの現場から……神田玲子(放射線医学総合研究所放射線防御研究センター)
  • 原子力災害後の現存被曝状況でのリスク・コミュニケーション……山口一郎(国立保健医療科学院生活環境研究部)
  • 臨界事故における健康リスクと,JCO臨界事故におけるリスク・コミュニケーションの問題点……前川和彦(東京大学名誉教授、フジ虎ノ門整形外科顧問)


# リスク・コミュニケーションの定義

 (リスクコミュニケーション)が扱うリスクは大別して原子力発電所事故などの科学技術、環境問題、消費生活用品、食品などの健康・医療、地震津波といった災害の5つの領域である。リスクとは、National Reserch Council によれば「被害がどのくらい重大であるかということと、どの程度の確率で起こるか、という2つの要素の積で表されるもの」と定義されている。
(堀口ら)

 リスクコミュニケーションは1989年、National Reserch Council によって「個人、機関、集団間での情報や意見のやりとりの相互作用的過程である」と定義された。
(堀口ら)

 医療におけるインフォームドコンセントは、リスクコミュニケーションの一形態である。


# リスク認知

 リスク認知は心理学において多くの研究がなされ、恐ろしさ、未知性、災害規模の三次元で括られるとされている。
(堀口ら)

 リスクを”恐ろしい、怖い”と認知する要素として、これまでの研究から11項目あることが紹介されている。それは、非自発的にさらされる、不公平に分配されている、よく知らないあるいは奇異なもの、人工的なもの、隠れた取り返しのつかない被害のあるもの、小さな子どもや妊婦あるいは後世に影響を与える、通常と異なる死に方をする、被害者がわかる、科学的に解明されていない、信頼できる複数の情報源から矛盾した情報が伝えられる、である。
(堀口ら)

 今回の福島第一原発事故が”恐ろしい、怖い”と認識されている理由が述べられている。


# リスクコミュニケーション技術の問題

 リスクの受容については、専門家から、そのリスクについての知識がないからであり、知識が増えれば理解が促進され、受容されるといった意味合いの発言が聞かれるが、これは迷信であったことが心理学的実験から明らかになったと紹介されている。リスク認知の低い人も高い人もリスク認知が中間的な人と比べて知識量は多いとの結果で、リスク認知の高低と知識量の関係はU字型をしていた。そして、リスク認知が低い方向にあるときに知識を与えると、自分に都合のよい情報を取り入れますます認知を低下させ、また、逆に、リスク認知が高い方向にあるときは、同じように自分に都合のよい情報を取り入れますます認知が高まると考察されている。
(堀口ら)

 今回もっとも大きな失敗は、非専門家である一般の人びとがリスクを理解しないのは適切な知識が欠いているからだという、欠陥モデル(deficit model)に基づくリスク・コミュニケーションが行われたことだと著者は考えている。(中略)「人びとは問題を理解していないから啓蒙が必要である」とか「安全性について科学的保証をすることが重要」という前提に基づいたリスク・コミュニケーションは有効でないことがすでに明らかになっている。
(吉川)

 (欠陥モデルは)人を教育によって成長させるものととらえているが、限界もある。まず、リスク問題は多数あるので、すべてを勉強するのは事実上不可能である。また、いくつかのリスクがある場合に、どのリスクを重んずるかは主観的であり、優先順位をどのように考えるのが正しいかは公衆衛生倫理に帰着する。公衆衛生倫理に正解はなく立場によって考え方が異なることになる。
(山口)

 欠陥モデルに基づいた対応が問題であることは、どの論者からも同じように出されている。確証バイアスによる歪みを認識することも重要である。

 リスク比較のガイドラインによれば、その比較は5ランクに分かれ、関係のないリスクとの比較がほとんど受入れられない比較とされているが、放射線リスクを交通事故や喫煙と比較することにほかならない。もっとも受入れられる比較は、時期が異なる同一リスクの比較、基準との比較、同一リスクに対する異なる評価の比較である。
(堀口ら)

 具体的な手法として問題がきわだっていたのはリスク比較である。(中略)リスク比較の効果について検討したCovelloらは、リスク比較は地域住民との信頼関係がある場合に限り有効であると述べている。(中略)リスク比較が行われるとき、人びとは、説得のために使われているのではないかと疑いをもってしまう。(中略)今回の事例でいえば、事故による非自発的な被曝のリスクに対して自発的な喫煙のリスクと比較するならば、自発性という異なるリスクを比較していることが問題視される。また、医療被曝と比較するならば、便益(ベネフィット)が明瞭なリスクと比較している点が問題となる。
(吉川)

 安易なリスク比較手法は、内容のみならず情報発信者の信頼性が失われてしまうことに注意が必要である。


# 個人的選択と社会的論争

 個人的選択は、どう行動するかが個人に委ねられている。(中略)例として、肺癌のリスクは明らかであるが、喫煙するかどうかは個人が選択することがある。
 社会的論争は、リスクに対してどのような行動をとるのか、社会全体として決定しなければならない。ステイクホルダーが多数おり、利害が相反し、価値観の違いが大きく、合意を得るのが容易ではない。その目標は利害関係者間での合意形成であるが、(中略)利害関係者が当該の問題や行動について理解の水準をあげ、利用可能な知識の範囲内でリスクに関する情報を適切に知らされていると満足すること、決定過程の段階から利害関係者が参加し、それぞれの意思表明の機会があること、リスクが関係者間で公平に配分されること等も目標である。
(堀口ら)

 原発事故をめぐる問題を個人的選択に矮小化するのではなく、社会的論争であることを認識して対応することが求められている。


# 平時と緊急時、パニック神話

 緊急時対応がスムーズに行くためにも、平時でのリスクコミュニケーションは重要である。
(堀口ら)

 ”原子力発電所の事故ですべての人が亡くなっているわけではない””自分のまわりでは起こらない”などと考えることで、人びとは認知的不協和状態を解消させようとするのである。
(堀口ら)

 日本における原発建設の多くは”絶対安全”を担保とすることで社会的合意形成がなされていた。
(神田)

 事故前のリスクコミュニケーション不足や放射線に対するリスク認知への配慮不足により、現在、放射線リスクの理解や受け止め方に大きな個人差が存在している。
(神田)

 事故前のリスクコミュニケーション不足、とくに緊急防護対策の周知不徹底により、原発周辺住民が回避できる被曝をした可能性があることは大きな問題と思われる。
(神田)

 福島原発事故での被ばく医療対応では、こうした緊急被ばく医療研修を受けた他地域の人材がおおいに役立った。しかし、災害時のリスク・コミュニケーションの観点からみれば、地域の医療機関地方自治体や国の対策本部から迅速で適切な災害情報がもたらされたかは疑問である(たとえば、原子力安全委員会からの安定ヨウ素剤服用の指示)。また、原子力災害に関する地域住民へのリスク・コミュニケーションについても問題を残したことも指摘されている。
(前川)

 原発事故発生前におけるリスクコミュニケーション不足が、大きな問題であることがどの論者からも強調されている。

 人びとはパニックを起こすということは社会学・心理学の研究では繰り返し否定されている。(中略)現実はむしろ逆で、危機的な状況に直面してもなお「これはたいへんな事態ではない(通常時と同じ)」と考えてしまう傾向(正常性バイアス、normalcy bias)のあることが確認されている。
(吉川)

 パニックを本当に恐れているのか、あるいは口実にしているのか、真実は不明であるが、パニックついて言及することは情報公開の不徹底性につながっている。
(吉川)

 危機的状況にあっても人びとはパニックを起こさないという前提に立てば、おのずとリスク・コミュニケーションの計画も異なってくるはずである。情報を隠蔽したり控えめに出したりするのではなく、情報を十分提供したうえで、市民によりよい意思決定をするために、どのようなリスク・コミュニケーションが可能かを議論できる。
(吉川)

 緊急時、パニック神話により情報をコントロールしようというエリート自体がパニックを起こしがちであることに注意する。官僚統制をしようという姿勢が不信感を招くことになる。


# 事故後のリスクコミュニケーション

 絶対安全が担保されない、あるいは低線量放射線の健康影響が理解/納得できないことが大きなストレスとなり、少数であるが、精神的不安が昂じているケース(中略)など、不安解消が困難な事例が増えている。(中略)一般的には、一度上がったリスクの認知度は、容易には下がらない。
(神田)

 ”放射線はみえないから怖い”といわれていたが、いまでは”放射線放射性物質は測定し、その値をもとに予防を考える”というベースが市民にも定着した。
(神田)

 逆にあまり線量に寄与していない被曝経路のリスク低減を行うことで、他の健康リスクを引き上げる場合がある。家屋の換気を行わないことによる自然放射線性物質のラドンによる被曝の増加などがこれにあたる。また、さらなる被曝を回避するため、放射性診断を忌避するなどの行為を行えば、保健の観点からはリスクを高めている可能性がある。
(神田)

 現在、問題となっているのは、事故後のリスクコミュニケーションである。他の健康リスクも考え、総合的な健康リスク低減を考える必要がある。


# 合意性の誤謬、コミュニケーションの専門家との協働

 専門領域内では専門家どうしの結びつきが強く、”合意性の誤謬”が起こりやすいと考えられている。”合意性の誤謬”とは、自分の判断は一般的で正しく多数意見であるとみなす一方で、違う意見は一般的でなく不適切であるとする考え方である。一般にだれでもこのような傾向をもつが、狭い専門領域内のみで活発にコミュニケーションしている専門家は同様の考え方に囲まれて暮らすことになるので、その分野での”社会的現実”が強化されやすくなると考えられる。
(山口)

 リスクコミュニケーションにおいて、その取り扱うリスクの専門家の課題として、自らの正しさに確信をもちすぎていること、専門家間での相違、素人の参加を拒む意識、一般の人びとのニーズにあったリスク情報、リスクメッセージの提供ができていないこと、そしてコミュニケーション能力があがっている。
(堀口ら)

 使用が好ましくないといわれている、相手を否定的に評価する”消費者の不安、風評被害”といった言葉、”偏った”報道などステレオタイプな表現も聞かれた。
(堀口ら)

 「正しく怖がる」という言葉を使用すること自体が、リスクコミュニケーションを阻害する。相手を否定する言葉を使用すると、信頼性を失う。「御用学者」、「放射線恐怖症」などの言葉がネット上に飛びかっているが、安易に使うことは避けるべきである。

 (新興感染症対策の研究)の中で、リスクコミュニケーションに関する研究が位置づけられ、リスクコミュニケーションの研究者および実務者、メディア関係者とウイルス学を中心とする感染症の研究者が一堂に会し、(中略)日本におけるリスクコミュニケーションの方策が提言としてまとめられた。(中略)放射線リスクについても、今からでも協働し、戦略的にリスクコミュニケーションが進むことを願っている。
(堀口ら)

 人がどのように情報の真偽を判断するかをモデル化したものに”二重過程理論”がある。”二重過程理論”とは人の判断過程を2つに大きくわける考え方である。第1のルートはきちんと考えて丁寧に判断するもので、判断の質はよいが、負担が大きいという短所がある。第2のルートは関連情報から手早く判断するもので、負荷は軽い。(中略)周辺情報による判断とは、知識を持っている専門家が誠実に正しく中立的な立場から、その情報を発信しているから信頼することなどを意味する。
(山口)

 どのような人の説明が受入れられるかに着目したのが、主要価値類似性(SVS)モデルである。このモデルでは、主要な価値としてのものの見方を共有していると思えることが信頼の大きな要素である。
(山口)

 ”二重過程理論”におけるヒューリスティックの重要性に関する説明である。ゼロリスク幻想が生まれる背景とリスクコミュニケーション(2011年10月22日)でも同じようなことが指摘されている。専門家がリスクを負う立場の人びとの価値観を理解し、信頼を高めていく努力をしていくことの重要性が指摘されている。


 リスク・コミュニケーション自体は、原発事故に限ったものではない。同様の問題が医療現場で必要であることを認識する必要がある。各論者の参考文献をみると、下記吉川肇子氏の著書が上げられている。購入し、あらためて勉強してみたい。

健康リスク・コミュニケーションの手引き

健康リスク・コミュニケーションの手引き

リスクとつきあう―危険な時代のコミュニケーション (有斐閣選書)

リスクとつきあう―危険な時代のコミュニケーション (有斐閣選書)

危機管理マニュアル どう伝え合う クライシスコミュニケーション

危機管理マニュアル どう伝え合う クライシスコミュニケーション