「李下(りか)に冠を正さず」と「利害の抵触」

 多田富雄先生の「李下(りか)に冠を正さず」というエッセイが話題を呼んでいる。

 「李下(りか)に冠を正さず」。他人の嫌疑を受けやすい行為は避けるようにせよの意。
  広辞苑より。


 このごろ「何歳になっても入れます」という医療保険のコマーシャルがやけに多くなっているとは思いませんか。テレビをつけると、いやでもそんな声が耳につく。


 話は2001年の小泉内閣規制緩和に遡(さかのぼ)る。いち早く保険業の規制が大幅に緩和されて、医療保険がん保険が急速に拡大した。しかしその裏では、社会保障分野の予算が、年間2200億円も抑制されることが了承された。


 もちろん備えあれば憂いなし。医療保険に入っておくことは、このご時世身を守るのに大切なことである。


 しかしこの規制緩和が国会を通過すると、やがて後期高齢者医療制度強行採決され、老人の医療費削減が行われる下地ができた。病気の「自己責任論」まで囁(ささや)かれ、公的保険の医療給付が制限されるレールが敷かれた。六十歳でも七十歳でも入れる、アメリカ型の医療保険の需要は拡大した。それに加入して、成人病の治療は自己責任でやりなさいと、公的保険の給付を制限する口実ができた。


 この保険業の自由化をいち早く推進したのは、オリックス会長が議長を務めた、小泉内閣規制改革・民間開放推進会議だったとは、ちょっと出来すぎだとは思いませんか。この会議では、従来認められていなかった混合診療を解禁し、国民皆保険を揺るがすような議論がなされた。民間の医療保険商品を売り出すチャンスが着々と作られたのである。


 後期高齢者医療制度の発足に伴う、民間医療保険の需要を見越して、いち早く保険業規制緩和を図ったという意見もある。シナリオはこのころから用意されていたのである。


 「かんぽの宿」の一括売却についての問題が、新聞を賑(にぎ)わしているが、鳩山総務大臣は「李下に冠を正さず」と批判した。シナリオの始まりは、ここでも規制改革・民間開放推進会議からである。その議長の系列会社のオリックス不動産が安値で買うのは、どうしても疑念を招く。そんなのは下司(げす)の勘ぐりといわれようが、疑念というものはそんなものだ。


 もうひとつの例は、私の関係してきたリハビリ日数制限に関する疑惑である。06年4月から脳卒中患者のリハビリは、発病後180日までと制限された。その結果、180日で回復できなかった患者の機能が、急速に悪化した例が多発した。命綱と頼んだリハビリを打ち切られて、命を落とした人さえあった。慢性期、維持期の患者が犠牲にされた。


 この理不尽な制度を作った厚労省は、「効果のはっきりしないリハビリが漫然と続けられている」と、高齢者リハビリ研究会の指摘があったというが、そんな指摘は議事録にはなかった。むしろ、この制度を擁護し続けたのは、厚労省寄りの「全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会」の会長であった。


 維持期のリハビリ打ち切りは、もっと早期に行われる回復期リハビリを充実させる政策とセットになっていた。回復期のリハビリを充実させることには、誰も異論はないが、その代償として、維持期、慢性期患者のリハビリ治療を犠牲にするのはあまりにも残酷である。それに回復期リハビリ病院の理事長が、自分の利益となる改定の擁護をしているのは、どうしても疑惑を招く。


 その証拠に、制度発足から3年後の今、重度の維持期の患者が、リハビリ難民として苦しんでいるのに対して、回復期の患者を選択的に入院させる回復期リハビリ病院は繁栄を誇っている。難民となった維持期患者の医療費は、そっくり回復期の病院に回っている。利益誘導の疑念を持たれても仕方がない。


 この当事者にも、「李下に冠を正さず」という言葉をささげたい。


(ただ・とみお 免疫学者)


(2009年03月18日 読売新聞)

http://osaka.yomiuri.co.jp/kokorop/kp90317a.htm


 「利害の抵触」という言葉がある。脳卒中学会のイブニングセミナーで「脳卒中治療ガイドライン2009」の講演を聞いた時にも、この言葉が出てきた。製薬会社など特定の企業から利益の享受を受けていないか、ガイドライン作成委員は誓約書を提出する義務を負った。ガイドライン作成は、臨床研究の成果を宣伝するまたとない機会である。「脳卒中治療ガイドライン2009」の公表により、売り上げ増を見込んでいる製薬会社は多い。だからこそ、「李下に冠を正さず」、すなわち「利害の抵触」を避けることが研究者にとっては大事となる。
 雇用規制の緩和、社会保障費削減など、経済界への露骨な利益誘導が行われ続けた。経済界が自らの利益に関わる政策に口を出すこと自体、「利害の抵触」に他ならない。「かんぽの宿」で突きつけられた問題は、オリックスだけの問題ではない。各種審議会の委員に名を連ねている経済界代表者はあらためて自らの行動規範を見直す必要がある。


 後段は、一転してリハビリテーション医療の現状に対する怒りの表明となっている。物言わぬ専門家集団に対する苛立ちがあふれている。確かに、回復期リハビリテーション病棟協議会の代表らは、維持期リハビリテーション打ち切り問題に関し社会的活動を全くしていない。ただし、医療関係者は水面下でのロビー活動はできるが、診療報酬決定に影響力を及ぼすことは実際はできない。「李下に冠を正さず」という言葉は適当ではない。むしろ、「長いものに巻かれろ」という態度を捨て去れ、という方が適切である。
 2006年度診療報酬改定において、維持期だけでなく早期リハビリテーションも打撃を受けた。リハビリテーション料は疾患別に再編され総合的リハビリテーションという理念は否定された。また、2008年度に行われた回復期リハビリテーション病棟への成果主義導入は疾患別リハビリテーション料引き下げとセットになって提案された。このような一連の流れの中で、言うことを聞かないと回復期リハビリテーション病棟料も引き下げますよという脅しにあった。厚労省生殺与奪の権限を握られていると考え、厚労省の批判はタブー視されてしまった。
 従順な態度を示し続けたからと言って、いつまでも回復期リハビリテーション病棟が優遇されるとは思えない。急性期リハビリテーション+ESD(Early Support Discharge、退院直後に自宅でリハビリテーション医療を提供すること)が普及すれば、回復期リハビリテーション病棟縮小論が頭を持ち上げることになる。
 自らの専門性を高めるという使命感を持ち続けることが最も大事である。高齢社会を向かえ、リハビリテーション医療の重要性が認識され始めている。エビデンスを明らかにし、世論を味方につけ、理不尽な診療報酬削減にものを言うことこそが求められている。