学校と病院の耐震化は急務

 地震が発生した時は、自家用車運転中だった。急にハンドルが不安定となり、車が蛇行して運転しているような感覚となった。周りの車がハザードランプを点滅し、減速して運転している。何かおかしいと考え、路肩に駐車してタイヤを確認したがパンクではない。同じように停めている車の運転手が近寄ってきて、「地震だったんですね。子供がパパ運転やめて、と言ったのでびっくりしましたよ。」と言ってくれたので、初めて地震だということに気がついた。


 病院に行ってみると、エレベーターは止まり、本や書類が散乱していた。壁に亀裂が入り、渡り廊下にひびが生じていた。パソコンも一部落下していた。しかし、人的被害はなかった。冷静に対応している職員の姿に頼もしさを覚えた。


 東北地方は地震が多い。政府の地震調査研究推進本部の調査によると、宮城県沖地震は1793年以降現在までの200年間余りに6回発生し、その活動期間は26.3年から42.4年、平均活動期間は37.1年となっている。前回は1978年6月12日とちょうど30年前。同規模の地震発生確率は、10年以内60%程度、20年以内90%程度以上、30年以内99%となっている。ここまでくると、必ず地震は起こると考えて、対策をとった方が良い。
 当院でも、10年ほど前に耐震性を考慮し、病棟を建て替えた。旧病棟を外来や介護事業所スペースとして整備したが、耐震補強工事をほどこした。多額の出費だったが、背に腹は代えられない。病院の被害が少なかったのも、先手を打って耐震化をほどこしたからだと判断する。


 1970〜1980年代に建設された病院は耐久性に問題がある。事実、2003年7月26日に起きた宮城県北部地震では、公立深谷病院に大きな被害が生じた。 専門誌が撮った宮城県北部連続地震:建築編 に、次のような記載がある。

耐震診断予定の小学校が大破するなど学校・病院の被害が目立つ


今回の地震では、築30年前後の学校や病院に被害が出たことが一つの特徴だ。8月4日時点の宮城県のまとめでは、何らかの被害が出た県内の学校は182校に上った。保健福祉関係でも61施設が被害を受けた。


河南町の北村小学校は、鉄筋コンクリート造3階建ての校舎南面の1、2階のほぼすべての短柱にせん断ひび割れが生じ、大破と判定された。5月の三陸地震でコンクリート柱に亀裂が入ったため当面の補修を実施。夏休みを利用して耐震診断を実施することを決めた矢先の被災だった。河南町では直ちに校舎を閉鎖し、2学期の授業に間に合うよう仮校舎を建設することを決めた。


矢本町立矢本第一中学校も、短柱がせん断破壊する被害を受けた。これに対して、3年前に耐震補強した矢本第二中学校は無傷だった。日本建築学会東北支部の災害調査委員長を務める田中礼治・東北工業大学教授は、「耐震補強の効果が実証された全国初の例として注目される」と指摘する。


病院で大きな被害を受けたのは、鹿島台町国保病院と河南町の公立深谷病院だ。どちらも築30年以上を経過した旧館の短柱にせん断破壊が生じた。ともに築年が比較的浅い本館部分の被害が少なかったので医療活動は継続できたが、本震があった直後に入院患者を別の施設や病院に緊急搬送する事態は免れなかった。


 公立深谷病院は、もともとの経営悪化があったところに、この地震被害後の収益減少が加わり、最終的には民間譲渡に至った。


 四川大地震では、学校の耐震構造の脆弱さが原因となって、多くの児童が被害にあった。耐震補強をした中学校の地震被害が少なかったという教訓を考えると、建築後年数が経った教育機関の耐震化は急がれる。同様に、大地震時に被災者の救済拠点となる医療機関が倒壊してしまえば、医療を提供することもできない。
 自家用車保有台数が減少したとの報道もある。無駄な道路を作るよりは、学校や病院の耐震化にお金を使って欲しいものだと思う。