スティグマの社会学
スティグマという言葉を学術用語として初めて用いたアーヴィング・ゴッフマン著「スティグマの社会学」を読んだ。
- 作者: アーヴィングゴッフマン,Erving Goffman,石黒毅
- 出版社/メーカー: せりか書房
- 発売日: 2001/04
- メディア: 単行本
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本書は社会心理学の古典的名著と呼ばれている。しかし、内容はきわめて難解である。今から約50年前の1963年に発刊されていることより、時代背景がだいぶ異なる。また、独特の用語を使用しており、一読しただけでは、内容が頭に入ってこない。また、社会学と銘打っているが、スティグマに対する個人レベルでの対応に関する叙述が中心のため、社会的問題の理解を求めようとする者にとっては不向きである。
自分の頭を整理するために、本書の論点の中で気になった点をメモした。なお、時代背景を考え、不適当と思われる原書の表現を一部言い換えている。
# スティグマとは?
スティグマには、烙印という訳語が最も当てはまる。ネガティブな意味のレッテルを表す言葉として使用されている。
- 社会は、人びとをいくつかのカテゴリーに区分する。最初は目につく外見からカテゴリーと属性すなわち「社会的アイデンティティ」を想定する。
- 社会的アイデンティティには、対他的な社会的アイデンティティ(a virtual social identity)と即自的な社会的アイデンティティ(an actual social identity)とがある。
- ある人物が自らに適合的と思われるカテゴリー所属の他の人びとを異なっていることを示す属性、それも望ましくない種類の属性をもっていることが立証された場合、人の信頼/面目が失われる。この種の属性がスティグマである。スティグマは、対他的な社会的アイデンティティ(a virtual social identity)と即自的な社会的アイデンティティ(an actual social identity)との間の特殊な乖離を構成する。われわれの持っているステレオタイプと不調和な属性が問題となる。
- スティグマのある者には、自分の特異性がすでに人に知られている、あるいは人に見られればすぐに分かってしまうと仮定している「すでに信頼を失った者(the discredited)」と、人のまだ知るところとなっていない、あるいは感知されるところとならない「信頼を失う事情のある者(the discreditable)」の2つの型がある。
- 3つのきわめて異なった種類のスティグマがある。
- 肉体の持つ様々な醜悪さ
- 個人の性格の様々な欠点
- 人種、民族、宗教など集団に帰属するもの
- 特定の期待から負の方向に逸脱していないものを、常人(the normals)とよぶことにする。
対他的な社会的アイデンティティ(a virtual social identity)と即自的な社会的アイデンティティ(an actual social identity)という用語が独特の言い回しでわかりづらい。「対他的(virtual)」という言葉は「求められる」という訳の方が良いのでは思われる。一方、「即自的(actual)」の方は、「実際の」という表現が適切ではないかと考える。
スティグマは社会的属性で特徴づけられることを著者は主張している。本来的には負のイメージがない状態でも、カテゴリーが求めるものと異なれば、異端者、部外者といった意味でスティグマになりうる。常人(the normals)という言葉も筆者による操作的概念であり、スティグマを持つ者との対比で使用されている。
同類では、同じカテゴリーに属する者が所属する団体の活動が紹介されている。患者団体が代表的なものである。事情通とは、同性愛者によってよく用いられる言葉とのことである。犯罪者と交渉をもたなければならない警察も事情通に分類される。肢体不自由者との接触が多いリハビリテーション関連職種もこの分類に含まれる。
# 情報制御と個人的アイデンティティ
- 道の人びととの間の素っ気ない交渉では紋切り型の反応が普通。相互に親密になると、同情、理解、その人固有の性質に即した考量がとって代わる。したがって、スティグマの管理/操作が問題になる範囲は、公共の場所での生活に関係がある。
- 身体的なハンディキャップのある人は、自分の欠点が実際上もはや重大なものではなくなってしまうようなきわめて親密な次元に移行しようと努める。そして、彼らが繰り返し交渉をもつ常人は、彼らの障害を敬遠するようなことは次第になくなってくる。
- スティグマを管理/操作する問題は全体として、スティグマのある人をわれわれが個人的に知っているか否かという問題に影響される。個人的アイデンティティという概念で、ある個人のかけがえのなさを示す表象(決定的な標識、アイデンティティ・ペグ)、および、特定個人に帰属されるような生活史上の諸事件のかけがえのない組み合わせを考える。
筆者は「すでに信頼を失った者(the discredited)」と「信頼を失う事情のある者(the discreditable)」が、スティグマの管理/操作に際して、情報制御がどのような役割を果たしているのか、詳細に叙述する。身体障害、視覚障害、聴覚障害、精神障害だけではなく、同性愛、娼婦、犯罪者など多彩な例をあげている。常人とスティグマのある者、両者間の接触という問題が本書で掘り下げられている。
# 集団的帰属と自我アイデンティティ
- 自我アイデンティティとは、個人が多様な社会的経験を経た結果、獲得するに至った自己の状況、自己の持続性、性格などについての主観的な感じといえる。
- スティグマのある個人は、同類意識とともに、同類の人びとをそのスティグマが明瞭に目立つ程度に応じて差別化する傾向を示すという両価的感情を示すことがある。
- 内集団への帰属と外集団への同調という2つの対応がある。前者は政治的表現で、後者は精神医学的表現で自我アイデンティティを与える。
- スティグマのある人に求められているのが、常人に対して自分が採るのは許されない態度を、自分に対して常人が採るのは我慢するように、という点にあるのではなく、スティグマのある人の反応がこのように他者によって決定されていることはひょっとすると自分が自己資本で挙げ得る最大の利益であるかも知れない、という点にある。事実、もし、他の誰とも同じようにできる限り豊かに生き、かつまた自分の真実の姿のままで受け容れられることを願うのなら、多くの場合、二重底(a false bottom)をもつこの立場こそが自分のとり得るもっとも抜け目のない立場なのだ。
自我アイデンティティという概念を用いて、個人がスティグマならびにその管理/操作について何を感じているかを考察している。本書の章で最も哲学的な内容を持つ。この話題は、次章でスティグマを持たない者にも一般的に拡張される。
# 自己とその他者
スティグマを持つと自覚している人と、そうではない常人との間には、本質的な差がないことが示されている。スティグマが持つものが示すさまざまな自己情報制御は、自分たちも行っていることを著者は強調している。
目に見えないスティグマ、精神障害、HIV/AIDS、てんかんに関する潜在的な差別意識が時々噴出する。最近でも、「信頼を失う事情のある者(the discreditable)」が、社会的に阻害されることを恐れ、不利益な情報を隠すことが重大事故につながっている。スティグマに関わり、個人レベルでどのような心理的葛藤が起こっているか本書では詳しく叙述されており、参考になる。
一方、社会的発展の中で、人種差別、障害者差別への取組みが進んでいる。可視化されたスティグマに関しては、人びとの意識が変わっていることは間違いない。スティグマは社会的属性で特徴づけられること、常人とスティグマのある者とは一つの連続体にあることを考慮に入れ、自分の問題として捉えることの重要性を本書は示している。