障害(者)を取り巻く環境の歴史

 前横浜市立大学リハビリテーション科教授、安藤徳彦先生の著書、「リハビリテーション序説」より、「障害(者)を取り巻く環境の歴史」の一節を紹介する。

リハビリテーション序説

リハビリテーション序説


その遺跡は中近東からヨーロッパに及ぶ広い範囲で非常に多数発見されているが、1950年代の後半にイラクのシャニダール洞窟で花に飾られて葬られた人々とともに、頭蓋側頭部と眼窩の骨折でおそらく左眼が失明したと想像され、右肩甲骨、鎖骨、上肢骨が萎縮し、右下肢に骨折、右膝に治癒傾向がある障害痕を認める男性人骨が発見された。この時代にこのような障害をもって生存することは不可能であったはずなので、同族のものが彼を保護し、介護した証拠だと結論づけられ、ネアンデルタールには明らかな人間性があったと考えられている。生存するだけでも困難で、35歳を超えて生きたものは皆無であったとされる狩猟生活の時代の人々に、相互に助け合う精神があったことが注目されている。ところが、この貴重な資料がアメリカ占領下のバクダッド国立博物館から略奪者に運び出される危機に直面したという。この現実は、ネアンデルタールの時代から何万年の時を経た現代でも、力ずくの暴力が世界を支配する悲しさを映し出している。


 安藤先生は、プラトンの優生思想の問題点、中世の魔女狩りの対象に精神疾患身体障害者が含まれていたこと、ナチスドイツの優生思想へと論を進め、次のようにまとめている。

日本でも優生保護法が昭和23年(1948年)に成立し平成8年(1996年)に母子保護法に改正されるまで存続した。優生思想もホロコーストも過去のナチスドイツにおける歴史的遺物ではなく、現在も世界各地で起きている現実であり、過ぎ去った遺物でも他国で起きたよそごとでも決してないということを知るべきである。


 人間は助け合う動物である。そのことが、滅亡したと言われるネアンデルタール人にも垣間見られる。一方、人間は差別意識から平気で残虐な行為を犯す。「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。」と発言する行政トップがいる。権力者が民衆の不満のはけ口として弱者をターゲットにした時、暴走が恐ろしい社会現象を生むことを歴史が示している。
 障害を持って生活をしている方々は、障害に伴う不自由さを感じてはいるが、必ずしも不幸ではない。幸福感と不自由さは別の概念である。そのことを我々リハビリテーション医学に携わる者は経験を通じて知っている。
 リハビリテーション専門職は、機能障害や活動の制限を解決することを通じて、障害者の人生の質(QOL)向上を目指す。そして、重度障害を抱えながら社会的役割を発揮されている方、家族の介護に献身的に取り組むことに生きがいを感じている方などと接する中で、自らのどのように生きるべきか教わる。医療・介護・教育など、人間としての規範に基づく様々な社会的活動はすべからく双方向である。サービスを提供する側は、受ける側から多くのことを学んでいる。
 助け合いという社会的規範と、功利的な市場規範とのせめぎあいの中で我々は生きている。限られた財源を口実として社会保障費や教育費をきりつめることは、現在の殺伐とした世相を悪化させるだけである。