北九州市「認知症高齢者の爪きり事件」

 日本看護管理学会 トップにおいて、北九州市認知症高齢者の爪きり事件」、傷害被告事件に対する意見書が公表された。


 本事件については、2007年10月4日、日本看護協会が、北九州市「認知症高齢者の爪はがし事件」に関する日本看護協会の見解を公表している。事件の概要は次のとおりとなる。

 平成19 年6 月25 日、北九州市の病院で記者会見が行われ、翌26 日には看護師(課長)が入院患者である高齢者4 人の爪をはがす虐待があったと報道されました。同日、当該病院の本部は当該看護師を傷害容疑で刑事告発し、懲戒解雇処分を行うとの方針を発表しました。当該看護師は7 月2 日に傷害の容疑で逮捕され、7 月23 日に「傷害罪」で起訴されました。


 その後、平成21年3月30日、第一審にて、有罪(懲役6月、執行猶予3年)判決がなされた。看護師は即日控訴をしている。日本看護管理学会の意見書に、第一審判決の概要が記載されている。

「本件は、看護師である被告人が、勤務していた療養型医療施設である病院に入院中の高齢患者に対し、その肥厚し爪床から部分的に浮いている足親指の爪を、指先より深い箇所まで爪切りニッパーで切り取り、爪床部分に軽度の出血を負わせ、また、別の入院中の高齢患者に対して、甘皮でその根元のみが足指に着いている状態の足爪を、その周囲に貼られていたばんそうこうごと取り去るとともに、上記同様に肥厚し爪床から部分的に浮いている足親指の爪を指先より深い箇所まで爪切りニッパーで切り取って、爪床部分の軽度出血等の傷害を負わせた事実である。
 看護師である被告人が、勤務する病院内において、勤務中に犯した傷害行為である点は、量刑上重視せざるを得ず、懲役刑をもって臨むのが相当である。
 しかしながら他方、傷害の程度が軽微であること、被告人に前科前歴はないことから、主文の刑を量定した上、その刑の執行を猶予する。」
 以上が「量刑の理由」となっている。


本意見書では、1.爪切りの妥当性
       2.「ケア目的の看護行為ではない」とする判断について
       3.看護管理者によるケアの質の保証
の3 点から、日本看護管理学会の見解を述べたい。


 第1点と第2点に関しては、本エントリーで言及はしない。第3点についてのみ、日本看護管理学会の意見を紹介する。

3.看護管理者によるケアの質の保証


 被告人は、平成2 年に病院に就職、平成14 年に看護課長に昇進し、東4 階病棟、西5 階病棟の勤務を経て、平成19 年6 月1 日より東6 階病棟を看護課長に配置された。平成16年か17 年ころから入院患者の爪切りを行い実績を積んでいる。
 本件は東6 階病棟に配置された直後に発生している。基本的看護が十分ではないと判断した新任の看護管理者が自らの実践によってケアの質の向上をはかりたいと考えたものと推測することができる。しかし、新任の看護管理者のケアに対する方針が理解されない人間関係など職場環境の問題が容易に推測される。被告人はむしろ看護の質の保証を実践しようとした看護管理者であると見ることができる。


 これらのことから、本件は傷害事件ではないことを確信するものである。


 さらに、調べてみると、元朝日新聞論説委員、池見哲司氏のホームページ、http://ikemidoujou.com/の中にあるhttp://ikemidoujou.com/bun/media/kougi09.htm内に興味深い指摘がされていた。

 まず思い浮かぶのは、2004年に京都で起きた爪はがし事件である。(中略)その後の調べで、助手は患者6人の手足の爪計49枚をはがしていたことが判明、06年1月、懲役3年8カ月の判決を受け、確定した。
 今回の事件は「課長が患者の爪をはがすところを見た」という他の看護師の目撃情報が発端だった。驚いた病院側が京都の事件を連想して「虐待だ」と思い込み、その線で内部調査を進めた可能性は否定できない。予断を持って調べれば、白の証拠も黒に見える。警察で言えば「見込み捜査」だ。

 もう一つ、病院側が発表を急いだ背景には、行政機関やマスコミに「不祥事隠し」と受け取られることを恐れる気持ちがあったのではなかろうか。近年、医療ミスをめぐる医療機関の不適切な対応が、国民の医療不信を増幅させてきた。それだけになおさら「まず謝罪しなければ」という意識が働いたとしても不思議ではない。
 しかし、そのことが逆に「虐待があった」ことを既成事実にしてしまった。


 本事件は、福島県大野病院事件に酷似している。医学的判断の誤りを所属機関側が行い、その結果をもとに警察が介入した。正当な医療や看護が犯罪とされてしまったことに対し、関連団体が異議申立てをし、全国的な支援に乗り出している。
 職場の人間関係のもつれが、虐待事件という誤認を生じた。さらに、病院側が自らの保身のため、事実関係を確認せず、1人の有能な看護師長をスケープゴートにして、世間の批判をかわそうとした。このことが、本事件の本質である。