「治療用装具不正請求相次ぐ」という記事に見る事実誤認

 先日、朝日新聞に次のような記事が載った。

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 病気の治療で使う装具の作製費をめぐり、全国で健康保険組合に不正請求が相次いでいることが、朝日新聞の調べでわかった。首を固定する装具を装って安眠枕を作ったり、靴店が健康保険でオーダーメイド靴を安く作れると宣伝したり。健保組合への請求には医師の証明書類が必要で、医師が加担しているケースもあった。

 治療用装具の作製には、健保組合から毎年多額の費用が支払われているが、不正請求による支出が一定程度潜在化しているとみられる。大手企業の健保組合で組織する健保組合連合会は「断じて許されず厳正に対処する」としており、実態調査に乗り出している。 

 

 上記記載でわかるように、一定規模以上の社員(被保険者)のいる企業が設立する健康保険組合の連合組織であるけんぽれん[健康保険組合連合会]が情報提供元である。

 調べてみると、2016年8月9日、健康保険組合連合会と中小企業等で働く従業員やその家族の皆様が加入している協会けんぽの全国団体である全国健康保険協会は、平成28年度療養費改定に当たっての意見(要請)(PDF)厚生労働省鈴木康裕保険局長に提出している。そこには次のような記載がある。

IV.治療用装具療養費への要望

1.支給基準の明確化

(1)治療用装具の作成基準の明確化

 治療用装具については、疾病又は負傷の治療遂行上必要な範囲のものに限られるが、「治療用装具の療養費作成基準」では、装具名、構造、価格等の記載のみであり、支給基準が不明確なため、明らかに治療用ではない装具に対する不適切な申請が増加している。こうした実態を把握した上で、治療遂行上必要な範囲を明確化するため、「傷病名に対する治療用装具の範囲」、「補装具(福祉)との区分け」、「治療用に該当する既製品の範囲」等の基準を示されたい。

 全部で6ページにわたる要請書のほとんどが、柔道整復療養費とはり灸及びあんま・マッサージ療養費に関するものであり、治療用装具療養費に関する要望は、上記に引用したものだけである。

 

 厚労省で療養費に関する議論が始まったのは、2012年10月19日から開始された社会保障審議会 (医療保険部会 柔道整復療養費検討専門委員会) |厚生労働省社会保障審議会 (医療保険部会 あん摩マッサージ指圧、はり・きゅう療養費検討専門委員会) |厚生労働省からである。社会保障審議会 (医療保険部会 治療用装具療養費検討専門委員会) |厚生労働省が持たれたのはそれよりかなり遅れ、2016年3月29日からとなる。しかも、治療用装具療養費検討専門委員会が持たれたのは、わずか2回である。柔道整復療養費、あん摩マッサージ指圧、はり・きゅう療養費と比較し、重要視されていないことがわかる。しかも、議論の内容を見ると、健康保険組合連合会の要請に厚労省は既に対応していることもわかる。厚労省にとって、優先順位は明らかに低い。

 

 朝日新聞の記事にはいくつかの事実誤認がある。まず、「厚生労働省健保連などは、治療用装具の作製費に保険から毎年総額でいくら支出されているか把握していない」とある。しかし、第1回専門委員会の資料には、はっきりと記載がある。2017年1月18日に、柔道整復療養費、あん摩マッサージ指圧、はり・きゅう療養費両専門委員会で提出された参考資料(PDF:171KB)により新しいデータがあるので、そちらを引用する。

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 治療用装具療養費の推移は、赤枠で囲まれた柔道整復療養費のすぐ上にあり、厚労省はしっかりと把握していることがわかる。注目すべきは対前年度伸び率である。一見すると国民医療費の伸び率以上に推移しているように見える。しかし、注3に記載されているように、平成21年度以前は船員保険、共済組合については集計されていないため、平成22年度の伸び率10.6%は高めにふれていることになる。他の年度を見ると、対前年度伸び率は国民医療費の伸び率とほぼ同等である。

 

 次に、「国民健康保険や大手企業の健康保険組合も治療用装具に多額の費用を払っているとみられるが、個別の集計は取っていない」とあるが、第1回検討専門委員会の資料 治-2(PDF:3,061KB)にグラフとデータがある。

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  2014年10月に行われた抽出調査の結果であるが、調査は既に行われている。朝日新聞が問題にした靴型装具はわずか1%である。足の外科はきわめて難しい分野であり、義肢装具士も障害にあわせて一から靴を作ることはかなりの熟練を要する。変形のある足に合わせ、靴型装具を作るのは足の外科医と義肢装具士との緊密な連携が必要であることは当事者がよく知っている。

 

 次の記載も問題である。

 大手装具業者の担当者は「医師も診察すれば診療報酬が入るというメリットがある」と話した。医師と業者との関係について「医師を接待して自社の装具を使ってもらうことも過去にはあった。医師に気に入られないと仕事を任せてもらえない」とも明かす。 

  高額な治療用装具を処方しても医師が手にする診療報酬は、再診料と診断書料(自費)だけである。せいぜい、ギプス採型料が加わる程度である。脳卒中患者に対し下肢装具を作る場合には、担当療法士も一緒に議論をして作ることがほとんどだが、同じ時間があれば訓練を行ってもらった方が、病院経営上は有利である。お金の問題だけ考えると、医師にとって治療用装具作製することにはメリットがほとんどない。

 医師の負担はそれだけでない。国立障害者リハビリテーション学院において義肢装具判定講習会が行われる。要綱日程表を見ると、身体障害者更生相談所又は病院等において義肢装具等の適合判定に従事する医師は、計6日間の研修が半ば義務づけられている。自己研鑽のために必要と考え、整形外科医やリハビリテーション医は多忙な日程を割き、研修に参加している。医療機関にとってもその間休診とせざるを得ず、負担は大きい。

 一部の不心得者が不正請求をしていることは事実である。しかし、それはあくまでもごくわずかと私は予想する。不正が増えているというからには、具体的なデータを示さないといけない。いかにも装具業者と医師との間に構造的な癒着があり金儲けをしているとほのめかすような記載は、単なる誹謗中傷である。

 

 一部の関係者から聞いた極端な事例のみを取り上げ、公開されているデータで裏付けることをせず、中途半端な正義感を持ち、断定口調で医療不信をあおるようなマスメディアの手法に医療関係者は疑問を感じている。今後も同じやり方を続ける限り、朝日新聞取材陣は自らの信頼性を毀損し続けることになる。