国リハあはきの会の要望書
柔整師会の政治献金が不正請求を黙認させた?-国リハあはきの会、療養費適正化求め要望|ニュース|ロハス・メディカルにて、柔道整復師の不正請求問題がとりあげられていた。
「厳格な審査体制を作ろうとしても、必ず政治家が介入して実らなくなっている。政治献金がすごいんです」ー。あん摩マッサージ指圧師らでつくる「国リハあはきの会」(林幸男代表幹事)は22日、長妻昭厚生労働相と西村正紀会計検査院長に対し、柔道整復師による療養費の不正請求を適正化するよう求める要望書を提出した。同会からは、柔道整復師の政治団体が1995年から7年間で、政党支部を通して厚労省の"族議員"に約7000万円の政治献金を行ってきたとする資料が示された。(熊田梨恵)
同会は要望書で、柔道整復師による療養費の請求が本来対象ではないはずの慢性疾患にまで及んでいるとして、「視覚障害あはき師のこの業による生計維持を次第に混乱ならしめている」として、厚労省と会計検査院に対して実態調査や適正化対策を行うよう求めた。同会が提出した要望書では、柔道整復師による療養費請求額が2007年度で3377億円に上るとして、このうち99%が「捻挫・打撲」による請求とした。
「国リハ」という言葉が気になり、調べてみたところ、東京ヘレン・ケラー協会|点字出版所|点字ジャーナル|2008年5月号に、国リハあはきの会事務局長与那嶺岩夫氏の文章を見つけた。
国リハ「理療教育部」の歴史と意義
国リハは1979年に国家的プロジェクトとして、埼玉県所沢市の米軍飛行場跡地に、東京都内にあった3つの障害者施設を統合し、移転・設置された。その一つで、それまで杉並区にあった東京視力障害センターは、終戦後の戦争失明者を念頭において中途失明者にあはき師免許を取得させる目的で1948年に国立光明寮としてスタート。移転の前には、すでに福岡・神戸・塩原・函館にも、それぞれの地名を冠した視力障害センターが開設されていた。いわゆる「国立5センター」である。
戦後日本の復興期にあって、盲学校には年齢制限があり入学できなかった中途失明者が、全寮制の専門学校であるこれらのセンターに、あはき業に生きる光明を見出して多数参集してきた。その意味において東京視力障害センターをはじめとする5センターは、重要な役割を果たしており、数万人におよぶであろうあはき師を世に輩出してきたその功績は、決して小さくは無い。
正直なところ、国立身体障害者センターが、中途失明者に対し、「あはき師」と略称される「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師」の免許取得にこれほど重要な役割を果たしていたことを初めて知った。考えてみると、座頭市の時代から、あはき師は視覚障害者の生業として尊重されていた。リハビリテーション医の主な対象は肢体不自由であり、視覚障害など関連領域の制度に疎い。
ロハスメディカルの記事を読むと、視覚障害を持つあはき師の危機意識が伝わってくる。ただでさえ、あはき師は、カイロプラクティスや整体、リラクゼーションなどの民間資格者との競合に苦しんでいる。そこに、保険が使えるということを唯一の売りにして、柔道整復師が進出している。柔道整復師の不正請求問題は、医療保険制度に対する脅威だけでなく、視覚障害者の生存権を脅かすものともなっている。