数字の暴力性

食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字 〈上〉 (光文社新書)

食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字 〈上〉 (光文社新書)


 ミリオンセラー「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」で一躍その名を知られた山田真哉氏の書き下ろしである。「数字」と「会計」の基礎を分かりやすく説明した本書は、ネーミングの巧みさもあり、2007年新書ノンフィクション部門で第7位とベストセラーとなった。*1 今回は、上巻のイントロダクションの部分より、「数字の暴力性」について紹介をする。

# 数字のルールはたった4つ
1.順序がある。

  • Web2.0は、過去と未来までを包括したネーミングだったため、普及した。
  • 数字を使えば整理・管理しやすくなる。


2.単位で意味を固定する。

  • 数字は単位がセットになることによって、はじめて意味を成す。
  • 秦の始皇帝は、貨幣・文字とともに度量衡を統一することによって、中国全土の統治を行った。


3.価値を表現できる。

  • (形容詞や副詞を使うより)数字で意味を固定した方が、その価値の大小が伝わる。


4.変化しない。

  • 意味を正確に伝達するという点においては、数字は言葉のなかでも特に優れたものである。
  • 数字は信用の発生装置になっている。
  • 一方、数字には暴力性がある。

 しかし、数字は絶対的であるがゆえに人に恐怖を与えることがあります。
 「ノルマは1日50軒訪問」「60点以下は再試験」「10位以内に入らないと引退」などという表現は具体的であるがゆえに、人に猛烈にプレッシャーを与えるのです。
 これが、「ノルマはたくさん訪問」「できなかったら再試験」「売れなかったら引退」なら、まだゆとりがあり精神的にもきつくありません。
 この数字が与える恐怖のことを「数字の暴力性」と私は呼んでいます。
 これは、「数字が変化しない(数字は絶対的である)」ことから派生したものです。
 数字を使う際には、この「数字の暴力性」という副作用を考慮して使わなければ、想像もしていないところで人を傷つけてしまうことがあります。
 数字は慎重に扱う必要があるのです。


 回復期リハビリテーション病棟における成果主義導入問題をずっと扱ってきて、ふと本書の「数字の暴力性」という表現を思い出した。在宅等復帰率60%、重症患者率15%、重症患者中3点以上回復者30%以上と、数字が並んでいる。数値目標が高いか低いかはひとまずおくことにする。問題は、通常の努力をしていても到達できそうにないレベルの目標を数字で出された場合、ノルマをクリアしようとして無理が生じることである。
 例えば、独居者は自宅退院が困難であることが知られている。在宅等復帰率が60%を超えるかどうかあやしい時には、独居であるだけで回復期リハビリテーション病棟への入院がしにくくなくなる。重症患者の中でも、もともと要介護だった高齢者は改善しにくい。そうすると、年齢や病前のADLをチェックしたうえで転院を断る場合も出てくる。回復期リハビリテーション病棟の質を努力して上げるより、目先の対応を行う方が数値目標を達成する上で即効性がある。成果主義は、モラルハザードの温床となる。
 数値目標が妥当であるかどうかは、臨床指標の開発から始まる。その臨床指標が、層別化された集団の中の変化を適切に測定できていれば、多くの医療機関が利用する。臨床指標を基に、施設間の差を調べることにも合意ができる。しかし、今回、回復期リハビリテーション病棟に適用されたのは、リハビリテーション専門職が誰も使ったことのない「日常生活機能評価」であり、ベンチマークを行わずにいきなり診療報酬と結びつけられた。
 ちなみに、「日常生活機能評価」は「看護必要度」の一種であり、看護師は試験で100点満点をとって合格しないと採点すらできない。「ゼロ」とか「100%」とかいう数字は、世の中で最も暴力性の高い数字である。運転免許の筆記試験で100点満点以外合格させないということになれば、暴動が起きるであろう。しかし、看護師の世界はヒエラルキーが存在しており、業界トップの無理がまかり通っている。なお、「日常生活機能評価」で重症扱いになる19点満点中10点以上という数字は、根拠がない恣意的な数値である。
 科学的根拠に乏しい指標を突然導入し、その数字をもとに診療報酬が決まる。「数字の暴力」という言葉は、回復期リハビリテーション病棟への成果主義導入という事態を的確に表現している。