リハビリテーション医療再生を目指して

 日本のリハビリテーション医療の現状を把握するために、歴史的経過を振り返った。2008年度診療報酬改定のもたらすものをふまえ、リハビリテーション医療再生を目指すうえで何が必要か考察をした。


リハビリテーションという言葉の由来】
 リハビリテーションには、失われた名誉の回復という意味がある。キリスト教が支配していた中世ヨーロッパでは、破門された者が、破門を解かれて名誉を回復する場合に用いられていた。


 リハビリテーションという言葉が、医学の世界で初めて用いられたのは、第一次世界大戦中の米国である。1917年、陸軍病院に、傷病兵の社会復帰のために、Division of Physical Retraining and Rehabilitation が設けられたのが最初である。この場合、 Rehabilitation とは、一人前の人間として社会に戻ること、主に職業復帰のことを指していた。運動学や運動治療学が発展する中、膨大な戦傷者を生み出した第二次世界大戦前後にRehabilitation Medicine は確立されていった。


 1942年、 ニューヨークでThe American Congress of Physical Therapy は、次のようにRehabilitationを定義した。

 リハビリテーションとは、障害者を、彼のなしうる最大の身体的、精神的、社会的、職業的、経済的な有用性を有するまでに回復させることである。


【日本におけるリハビリテーション黎明期】
 東大整形外科の高木憲次医師(後に教授)は、大正5年(1916)12月、最初の肢体不自由児調査を実施した。その中で家の中に治療も教育も受けずに隠された肢体不自由児が多いことに気づき、「隠すなかれ」という運動を唱えた。
 大正13年(1924)、「クリュッペルハイムに就て」の論文発表。この論文は、「療育」施設の必要を訴えた我が国最初の記念すべき論文となった。
 昭和 3年(1928)、「肢体不自由」の名称を提唱。
 昭和17年(1942)、肢体不自由児施設「整肢療護園」が開園され、園長となる。療育事業が開始された。しかし、昭和20年(1945)、空爆により整肢療護園の建物の大部分が灰燼に帰した。
 敗戦後の昭和22年(1947)に児童福祉法が、昭和24年(1949)に身体障害者福祉法が制定された。
 昭和26年(1951) 「整肢療護園」が厚生省の管理のもとに、児童福祉法に基づく肢体不自由児施設(療育施設)として再発足し、「日本肢体不自由児協会」に経営を委託された。


 日本のリハビリテーション第二次世界大戦後に米国の影響を受けて始まったと思われがちである。しかし、高木憲次先生の業績を振り返ると、そうではないことがわかる。整形外科黎明期に、肢体不自由児の実態をふまえ、治療と教育、そして職業教育まで含めた総合的対策を提唱され、それを「療育」と名づけた。また、「肢体不自由」という今日まで使用されている用語を造った。総合的リハビリテーションノーマライゼーションという概念が、日本の伝統に沿った形で産み出された。


【日本におけるリハビリテーション医療の発展】
 第二次世界大戦敗戦後は、米国から新しいリハビリテーションの思想や技術も導入され、その対象は障害者一般に拡大され、専門的に深く取り組まれるようになった。
 1963年には、整形外科学会を中心として、日本リハビリテーション医学会の創立総会が開かれた。同じ年、清瀬の東京療養所に日本で初めてのリハビリテーション学院が創立される。1965年、理学療法士及び作業療法士法制定され、リハビリテーション専門職の養成が始まった。
 以後、紆余曲折を経ながら、リハビリテーション医療は社会的認知を高めていった。日本リハビリテーション医学会や日本リハビリテーション病院・施設協会の「根拠に基づく」提言、先進的医療機関の取り組みが評価され、1980年代以降の厳しい医療費抑制政策の下でも、質の高いリハビリテーション(急性期・回復期)が評価されてきていた。


【激動の時代】
 2000年、介護保険制度が施行された。同じ年、回復期リハビリテーション病棟入院料新設された。
 2002年、リハビリテーション診療報酬が大幅に改定された。それ以前とうってかわって、リハビリテーション関係者にとって目まぐるしい制度改悪への対応が必要となった。診療報酬に関して言うと、1990年代のような大幅な引き上げこそなくなったが、早期および濃密なリハビリテーションへの誘導、言語聴覚療法への適正な評価、定期的評価と説明の強調など、納得できる改定が続いた。回復期リハビリテーション病棟急増、介護分野への需要拡大もあり、診療報酬マイナス改定が続く中、医療機関の生き残り対策として、リハビリテーション医療が脚光を浴びていた時代だった。


 しかし、社会保障削減を目指した「構造改革」を目指し、2006年度、以下の3つの改定が同時に施行され、日本中に激震が走った。


 2006年度診療報酬改定は、リハビリテーション関係者にとって衝撃的なものだった。
 疾患別リハビリテーション料が導入され、算定日数上限が設定された。
 疾患別リハビリテーション料の導入に伴い、総合リハ施設基準が廃止された。機能訓練室の面積要件が緩和された。人員基準も変更され、運動器リハビリテーション料では、代替者の導入も大幅に緩和された。一方、理学療法作業療法、言語聴覚療法の区別がなくなり、各療法が独自算定できなくなった。
 その他、早期リハビリテーション加算の廃止、集団療法の廃止、発症後早期の患者の算定単位数上限緩和、従事者1日単位上限の緩和が実施された。障害児・者のリハ料の新設、摂食機能療法の算定日数の拡大、訪問リハの単位化も実施された。
 回復期リハ病棟に関しては、算定対象状態の拡大と発症からの日数の短縮・算定日数上限短縮が行われた。


 これまで積み重ねてきたリハビリテーション医療の成果が瓦解した、そう思わせるような診療報酬改定だった。その改定過程が示したのは、未だにリハビリテーション医療がほとんど理解されていないということだった。


 療養病床の診療報酬も大幅に引き下げられた。その後の法改定で、介護保険の療養病床は2011年度末に全廃されることが決まった。医療療養病床も医療度が高い患者を中心とし、大幅に病床を減らす方針となった。
 2000年に実施された第4次医療法改定で、一般病床と療養病床の区分が導入された。2003年8月までに病床区分の明確化が迫られ、多くの療養病床で多額の資金を投じて改修・新築を行った。わずか3年あまりで厚労省は方針転換をした。
 療養病床の存続は危ぶまれる事態となった。療養病床で長期にリハビリテーションを実施していた患者は行き場を失った。


 2006年4月8日、朝日新聞「私の視点」に、多田富雄先生の訴え診療報酬改定 リハビリ中止は死の宣告が掲載された。疾患別リハビリテーション料算定日数上限設定に対し、その非人間性を痛切に批判した内容だった。リハビリテーション診療報酬改定を考える会(会長 多田富雄先生)が作られ、リハビリテーション医療の打ち切り制度撤廃運動が展開された。請願書名は、わずか1.5ヶ月で最終的に48万人もの数に達した。翌2007年度、2年に1回という改定スケジュールからすると、異例中の異例というしかない疾患別リハビリテーション料診療報酬改定が実施された。


 残念ながら、厚労省は、異例のリハビリテーション診療報酬改定という不名誉な事態を逆に診療報酬抑制の機会として利用した。必要な患者にリハビリテーションサービスを提供するために、診療現場が苦悩する事態は全く変わらなかった。


 疾患別リハビリテーション料算定日数上限撤廃運動の昂揚は、道理ある主張は、世論を動かし政策を変更させることがあることを示した。また、リハビリテーション医療関係者にとっては、自らの存在意義を再確認する運動となった。


【2008年度診療報酬改定のもたらすもの −まとめにかえて−】
 2008年度診療報酬改定中医協答申が出た。2006年度診療報酬改定に引き続き、厳しい内容となった。


 特に、回復期リハビリテーション病棟における成果主義導入問題は、リハビリテーション医療の変質につながる中身を持っている。自宅退院率を下げる、回復度合いが低いという理由で、より重度の方を回復期リハビリテーション病棟にたどりつけなくなる改定となった。リハビリテーション医療の理念そのものが貶められた。
 濃密なサービスを提供する疾患別リハビリテーション料Iが大幅に引き下げられ、リハビリテーション専門職を多数配置した病院の経営的打撃が大きいものとなった。
 また、障害者施設等病棟から脳卒中患者が排除された。療養病棟の診療報酬はいっそう引き下げられた。
 後期高齢者医療制度が導入され、保険料負担、低い診療報酬とあいまって、医療に年齢による差別が導入されることになった。


 たび重なる診療報酬改定を是認し、物言わずに生き残り対策に汲々としているだけではいけない。その意味で、診療報酬改悪に抗議する活動は、リハビリテーション医療の名誉を回復することに通じる。


 リハビリテーション医学は、運動障害のある患者の「全人的復権」を目指し、取り組む医学である。たとえ、完全に治らなくても「あきらめない」、「しつこい」医学である。より困難な中、リハビリテーション医療の普及につとめてきた先人の努力を振り返ると、現在の苦境はまだ軽いものといえる。


 激震3−診療報酬改定(2006年)で紹介した才藤栄一先生の言葉を再度引用し、まとめとする。

 今、リハ医療関係者には、国民によりよいリハ医療を提供するために、今回の改定作業で強化されたリ ハ医療関係団体の結束をさらに強めつつ、その専門性を高めるため変わることを恐れずに先に進むこと、そして十分に説明することが求められている。診療報酬改定はこれが最後ではない。