「私以外の誰か」のせいにし自分たちの絶対無謬を主張する官僚

 岩田健太郎先生の官僚批判がヒートアップしている。詳しくは、誰が、負けたのか: 楽園はこちら側をご覧いただきたい。
 共感した一節があったので紹介する。

もう一つの病は、無謬性依存症です。自分たちは絶対に、絶対に、絶対に間違っていない。間違っているのは、俺以外の誰か、という論法です。これも霞ヶ関固有の慢性疾患。今回の新型インフルエンザについても、5月、6月までの行動で個人レベル、病院レベル、市や県のレベルでたくさんの反省や改善点がまとめられつつあります。でも、僕はいままで、「○年の行政はこことこことここがよくなく、実際にはこうするべきであった。ごめんなさい。反省してこう直します」と謝罪、反省、改善を明言した厚労官僚を一人も知りません。新型インフル対策でも、局長、課長クラス以下、反省の弁を聞いたことがない。そして、「あれは政治家のだれそれがバカだから、財務省が金をくれないから、地方行政がだめだから、医者がだめだから、国民がアホだから」と「私以外の誰か」のせいにし、自分たちの絶対無謬を主張するのです。


絶対無謬を主張した瞬間、その人の没落が始まります。そのことを看破したのが、フロイトの理論を批判したカール・ポパーであり、マルクス主義フェミニズムを批判した内田樹でありました。「勝ち誇った瞬間、そいつは敗北している」といったのはジョセフ・ジョースター。絶対無謬に依存した精神からは、敗北しか生まれないのです。


 私は、自分自身が短気な性格だということを自覚している。年齢を重ねるにつれ、怒りを抑えることができるようにはなったが、どうしても我慢できないことがある。問題解決策を見つけようと対話しているにも関わらず、ひたすら自己正当化だけに走る輩に出会うと、地雷が爆発する。「自分以外の誰かのせいにして、責任をとらないのはどういうことだ」という趣旨の罵倒を相手に投げかけたこともある。


 正当化という心理現象は、保身のために生じる。しかし、自己弁護を前面に出して話をすると、相手の神経を逆なでするだけである。医療事故対応の場合でも、医療者が自己正当化に終始していると、患者や家族の怒りを増幅させ、事態を深刻化させる。事実経過を明確にした上で、過ちがあった場合には素直に認め、誠意をもって謝罪するという姿勢がない限り、トラブルは解決しない。クレーマーとレッテル張りして高飛車な態度をとっているとしっぺ返しをくう。


 霞ヶ関の官僚は、自分たちが過ちを犯しても絶対に謝罪しない。このこと一つとっても、特権階級という印象を国民に与える。中でも、厚労省は生活に密着する課題を数多く抱えている。厚労省が槍玉に上がっている原因は、「俺たちは間違っていない」といった高慢な態度をとり続けたからである。自業自得としか言いようがない。


 それにしても、ジョセフ・ジョスターの言葉の引用には笑ってしまった。岩田健太郎氏は、荒木飛呂彦のあの有名な作品をかなり読み込んでいるらしい。「自分たちは絶対に、絶対に、絶対に間違っていない。」と同じ言葉を重ねる手法は、「無駄無駄無駄無駄無駄無駄」という言葉のリズムを意図的に真似しているように思える。