神社は警告する

 「神社は警告する-古代から伝わる津波のメッセージ」という本が面白く、一気に読み終えてしまった。


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 震災直後の2011年4月6日、神社の名前に託した大津波に対する先人からの警告についてエントリーを書いたことがある。浪分神社と蛸薬師をとりあげたが、この2つの神社が特殊なものではなかったことを本書は示している。多くの神社が津波浸水域に沿うような形にギリギリの場所に並んでいるという不思議な現象についての疑問から始まっている。

神社は警告する─古代から伝わる津波のメッセージ

神社は警告する─古代から伝わる津波のメッセージ


 福島県の新地町から相馬市、南相馬市沿岸部にある84の神社のうち、67社が無事で17社が被害を受けていたという事実が明らかにされる。津波で流された神社は、移転の歴史があるものが多いのに対し、無事だった神社は来歴不詳の村社がほとんどである。相馬市にある「津(つのみつ)神社」では、津波の神様として地元では知られており、そこまで逃げれば助かるという言い伝えが残されていたことが聞き込みで明らかにされる。
 東北地方を襲った大津波としては、貞観津波(869年)と慶長津波(1611年)が知られている。「延喜式」(927年)には、朝廷から官社として認められた神社が一覧表になっている。ここに載った神社は「式内社」と呼ばれ、福島・宮城・岩手には「陸奥国百座」という神社がある。このうち、今回の震災で破壊されたのは3社のみだった。しかも、その3社とも移転されたか忘れ去られた歴史の後に後継社として定められたものであったということが明らかになった。貞観津波が神社立地に影響を与えていたことが推測された。また、宮城県福島県沿岸部にある神社や街道は、慶長津波の浸水域に沿ったものが多い。
 東海地方の神社をめぐると、近世になってからも繰り返し大地震津波の被害にあった神社が鎮座する場所を移した経緯がみてとれる。神社は、自然の猛威と人びとの運命を”記憶”として宿すランドマークであると同時に、「災害時の避難場所」であり、「防災教育・訓練の場所」でもあった。


 丹念な調査をもとに古代から伝わる津波のメッセージが浮かび上がる。良質のミステリーを読む味わいがある。昨日取り上げた「末の松山」のことも、本書を読んで初めて知った。福島第一原発事故がなぜ起こったかについても言及している。今後、東日本大震災と同じような大災害が日本のどこでも起きる可能性がある。被害をできる限り少なくするためにも、過去からのメッセージを謙虚に受け止めることが必要である。