ポンペイ展、仙台市博物館で会期を延長して再開

 http://www.ntv.co.jp/pompei/を見に、仙台市博物館に行ってきた。


 当初、2月10日(木)〜5月8日(日)の開催予定だったが、東日本大震災の影響で休館となっていた。4月29日(金)からの再開にあたり、ナポリ国立考古学博物館のご好意により、会期が6月5日(日)まで延長となった。ただし、仙台市博物館の被害は甚大であり、展示室の復旧工事のため、常設展が未だに休止となっている。
 一見したところ、ポンペイ展の展示物に損傷らしきものは見当たらない。西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山大噴火により一夜にして火山堆積物の下に埋もれ、1700年後に姿を表した貴重な文化財である。余震が続く地域で展示を続けるという決断は並大抵のものではない。日本の復興に向けたイタリアからの熱いメッセージが伝わって来る。


 パネル展示「仙台平野の歴史地震津波」も行われていた。貞観津波(869年)や慶長津波(1611年)において、仙台平野が繰り返し被害にあってきたことが簡潔に紹介されていた。文献資料として「貞山公治家記録」からの引用があったので、ネットで調べてみると、http://shigezane.fc2web.com/majime/sanriku-jishin.htmlに慶長津波の際の記録があった。さらに、パネル展示でも紹介されていたが、政宗公の時代は地震が繰り返されたことも記録に残されていた。

政宗の生きた時代もやはり、地震の多い時代でした(刈田や蔵王の噴火まで起きます)。


1608.11月 仙台で地震津波
1611.10月 慶長三陸地震
1616.7月 仙台で大地震・大津波。石垣崩落。
1627 磐城郡・刈田郡で大地震。同年若林築城許可。
1628.11月 若林城完成
1633.10月 大地震
1636.5月 政宗
1646.3月 大地震仙台城石垣崩落


 嫌な前例である。いずれにせよ、今回の大震災で地震を起こしたプレート間の力が解放されたなどと安心せず、今後も地震津波に対する備えをしておかなければならない。



 昼食は、せんだいメディアテークで摂った。1階フロアでメディアテークなど仙台市の図書館の被害状況が写真で紹介されていた。天井が崩れ落ち、所蔵図書が散乱していた。ただし、一見華奢な構造に見えるが、建物の構造まで影響はなかったようだ。



 定禅寺通は、目映いばかりの新緑で覆われている。震災や原発事故があったことが嘘のように思える。よくみると、あちこちの建物や道路に補修のあとはある。しかし、仙台市中心部は明らかに震災前の日常生活を取り戻しつつある。