インシデントとアクシデントの使い分けは日本独自のもの
青森に行った時、ある演者が「もうヒヤリ・ハット」という言葉は使わないことにしたと述べていた。次のような趣旨の論文が看護雑誌に載っていたことに影響されたらしい。
日本では、このハインリッヒの比率から派生した「ヒヤリ・ハット」という言葉を使っていますが、医療専門職としてこの幼稚な用語をいつまでも使い続けているのはいかがなものでしょうか。欧米では、インシデント(重大な事故には至らず未然に防がれた間違い)、アクシデント(患者の身体・生命にかかわる可能性がある事故)という、きちんとした「専門用語」があって、それぞれが正しく用いられています。看護の分野でも、レスパイトケア、リエゾンナース、グリーフケア、クリティカルパスなど、今はもう多くの外来語がそのまま使われています。日本におけるこうした幼稚な翻訳の誤用については、報告義務を課している財団法人日本医療機能評価機構にもその責任の一端があるようですから、是非正しい方向へと直していってほしいと思っています。
http://medg.jp/mt/2010/05/vol-178.html
「医療事故:真実説明・謝罪マニュアル」、タイトルに工夫必要(2008年9月5日)というエントリーを記載した時、When Things Go Wrong. Responding To Adverse Event. A Consensus Statement of the Harvard Hospitals、((ハーバード大学病院使用)医療事故:真実説明・謝罪マニュアル「本当のことを話して、謝りましょう」 )を紹介した。このマニュアルでは、Incidentを次のように定義していた。
Incident: An adverse event or serious error. Also sometimes referred to as an event.
インシデント(医療事故):有害事象あるいは深刻な過誤。事故ともいいます。
インシデント=重大な事故には至らず未然に防がれた間違いということは、どうもハーバード大学では通じないらしい。では、いったい日本と欧米との間で、言葉の定義に違いが生じたのか。
検討会議等|厚生労働省の議事録を読むと、興味深い事実が明らかにされる。
○ 青木室長
(中略)
そして次ページ、「アクシデントとインシデント」という言葉についてです。ここでは、あくまで医療安全対策に役立つものということで区分しています。アクシデントというのは、いわゆる医療事故です。インシデントは、ここにありますように、我が国においては、いわゆるヒヤリ・ハット事例、ニアミス事例ということで、エラーはあったけれども途中で発見される等の過程を経て、健康傷害に至らなかった場合をインシデントと呼んでいる例が多くなっています。
•第1回会議(13年5月18日)議事録
なお、英語本来の意味に遡りますと、傷害を及ぼした事例と及ぼさなかった事例を併せてインシデントとなりますが、我が国の報告制度においては「アクシデントリポート」、また「インシデントリポート」ということで、両者を区分して扱うことが多いということで上記のような定義をしています。
○森座長
インシデントとか、アクシデントとか、ヒヤリ・ハットとか、先ほどの桜井先生の御発言にもありましたように、言葉の意味なり内容が必ずしもはっきりしませんね。事務局ではある程度調べておられますか。
○新木室長
•第3回会議(13年9月11日)議事録
若干外国の事例等を調べてございますが、結論的には、インシデントをヒヤリ・ハット事例の事例で用いるというのは、我々の厚生省時代に出しました報告書で定義付けているのが最初ではないかと思います。
○森座長
(中略)
資料2が医療安全に関係する用語ですが、これは論議し始めると、相当時間がかかるかもしれません。一応いまの時点での事務局の考えをここに示しておりますが、いかがでしょうか。
•第10回会議(14年2月21日)議事録
いちばんの問題は「アクシデント」とか「インシデント」という言葉は、もともと英語でありながら日本の考えをそのままアメリカとかイギリスへ持っていって、この言葉を使って通用するかというと、なかなかしにくい面があるように感じていますが、とりあえずこれでよろしいでしょうか。
あるいはインシデント事例の日本語として、「未然事例」という言葉を用いることを、一応ここでは推奨しておられますが、いかがでしょうか。これに相当する英語では「ニアミス」ですね。日本では私の知る限り、製造業、その他では「ヒヤリ・ハット」というのは、随分定着していると申してもいいぐらいの日本語だろうと思いますが、一部には若干、「医学用語としてはふさわしくない」という反対もあるかもしれません。「未然事例」というのも難しい言葉ですね。
インシデントとアクシデントの使い分けは厚労省が広めた誤用である。少なくとも国際会議では使用してはいけない。重大な事故には至らず未然に防がれた間違いという意味で使うべき言葉は、ニアミスである。
ヒヤリ・ハットという言葉は、聞いただけで意味がわかる。工業分野を中心に広がり、医療分野でも用いられるようになった生命力の強い用語である。日本語の造語力の素晴らしさが生み出した傑作である。本当に駆逐すべきなのは、本来の意味から離れ誤った使い方をされている外来語の方であると、私は考える。