国の医療費抑制策が救急崩壊の火種となっている

 「サンデー毎日」12月21日号の医療記事をご紹介する。「要介護老人で埋め尽くされる救急病院」より。

# 国立病院機構災害医療センター救命センターの現状

  • センターに入院した70歳以上の高齢者は983人(10年前の2.3倍)、総入院数の約4割。90歳以上67人。
  • 呼吸不全や誤嚥、発熱、転倒による外傷や自殺などによる心肺停止。
  • 3次医療機関に関わらず、高齢者の急増にあえぐ。


# 総務省消防庁のデータ*1

  • 救急搬送数は10年で50%増。うち65歳以上高齢者は227万人で、搬送者全体の46.5%。
  • 高齢者11人に1人、64歳以下は37人に1人に比べ、3倍以上。


# 国の医療費抑制策が救急崩壊の火種となっている

  • 2次救急病院の疲弊: 「入り口」問題
    • 全国の2次医療機関は、97-07年の10年間に191施設減。
    • 都内でも、411→335施設と2割減。
  • 療養病床の減少: 「出口」問題
    • 要介護状態になった場合、受け入れ可能な病院や施設の「空き」待ちとなる。
    • 「3ヶ月待ち」はザラ。
    • 介護療養病床(約12万床)は2011年度末までに全廃が決まっている。


# 「日本慢性期医療協会」のアンケート結果*2

  • 「救急の受け入れを断らざるをえなかったことがある」76.7%
  • 「退院先を確保できないため入院延長をすることがあった」87.1%
  • 「救急病床の患者を直接『他院の療養病床』に移したことがある」59.7%
  • 療養病床との連携については「100%」の病院が「必要」と答えた。


 激増する需要増に対して、縮小する一方の2次医療機関。急性期医療治療後の受け皿となる療養病床もなくなる。その結果、最後の砦が”臨界”に達し、本当に重篤な患者が助からなくなる……。この国の救急医療は、そこまで危機的状況なのだ。


# 3次が抱えこむ「終末期」の問題

  • 以前は「大往生」として看とられていた患者が、3次救急病院に運ばれる。
  • 防衛医大病院の救急医金子直之医師が、病院のある所沢市と協力しながら、特別養護老人ホームなどに対して行った調査(2005年)。
    • 特別養護老人ホームでは、救急車を呼んだ時点で現場に医師がいたのは1%、看護職員がいたのは68%。
    • AED(自動式体外式除細動器)はほとんど設置されていない。心電図もほとんどない。
    • 施設入所時に心肺停止やそれに準ずるような対応について話し合いをしている施設、文書化している施設はなかった。
  • 一生懸命蘇生した後に、遠方に住む家族から、「そこまでの治療は望んでいなかった」となじられる救急医が多い。
  • 金子医師の提言。「急変時の蘇生の対応を事前に施設と家族側が話し合い、望む医療と望まない治療を文書化すれば負担は減る。これ以上3次に負荷をかけないためにも法整備やシステムの構築を急がなければなりません」


 国の医療費抑制政策のため、不採算部門である救急医療から医療機関が撤退する。療養病床も、介護型は廃止され、医療型は低い診療報酬を押しつけられる。その中で、本当は重症患者の治療に特化しなければならない3次医療機関が呻吟している。今後、いっそうの高齢化が進行する。何の対策もとられない場合、救急患者「受け入れ不能・困難」という状況が常態化していく。
 特別養護老人ホームでは、医師が常勤である必要性はない。このため、介護報酬は低く抑えられている。一方、老健や介護療養型病院は医師配置が義務づけられているが、報酬は包括性である。入所者が重症化した場合、その分の医療費は持ち出しとなる。介護施設内で急性期医療を行うことは実際には不可能である。したがって、具合が悪くなれば、すぐに救急搬送の要請をすることは、施設職員の行動パターンとしてやむをえない。


 要介護高齢者の終末期医療は医療倫理上の問題を抱える。特に、癌でない場合の終末期医療が問題となる。「見なし末期」という言葉がある。医学書院/週刊医学界新聞 【「老人の専門医療を考える会」シンポジウムより】 (第2299号 1998年7月27日)では、次のように表現されている。

「みなし末期」は許されるか


 一方,「終末期医療の検証を」を口演した横内正利氏(浴風会病院診療部長)は,「高齢者の末期については多くの誤解と混乱がある。末期とは考えられない状態までも末期とみなされて議論されている」と危惧を表明。「虚弱・要介護のレベルにある高齢者は,急性疾患などによって容易に摂食困難に陥るが,多くは治療によって疾患が軽快すれば,経口摂取が再び可能となる。しかし,もし治療しなければ死に至ることも少なくない。このような高齢者の摂食困難に対して,それを不可逆的なものとみなして医療を実施しないとすれば,それは『延命』治療の放棄ではなく,治癒の可能性をも放棄することだ」と述べ,治癒の可能性があるにもかかわらず,末期とみなすこと(「みなし末期」)を「国民的合意なしには許されるものではない」と主張した。
 また,高齢者医療における治療法や治療の場の選択については,「一定のレベルを超えた治療は望まない,ある限られた範囲内の治療で治癒を試みてほしいという『限定医療』を望む場合が一般的である」と述べ,「この場合,『みなし末期』との決定的な違いは治癒する可能性が十分残されていることであり,医療者が『自然な看取り』を心がけるのは危険である」と警鐘を鳴らした。


 脱水の補正をしただけで、以前と同様に食事がとれて、車椅子での移動が可能となる場合がある。「積極的な治療を望まない」という文書を施設入所時に義務づけることは危険である。
 「心肺停止時の蘇生の対応について文書化する」ということには意味がある。ただし、要介護高齢者の場合、心筋梗塞などで心肺停止状態となった場合、実際には助からない。救急ベッドを埋める可能性があるのは、重症の肺炎・臓器不全の場合である。生命は助かった場合でも、以前と比べ要介護状態が悪化してしまい、施設再入所が困難となる。「限定医療」という観点で言えば、「補液や抗生剤使用までは行っても良いが、挿管や人工呼吸器管理、透析は望まない。」という文章表現になる。ただし、急性期医療を知らない施設職員に、上記説明を委ねることは現実には難しい。