サイコパスの脳

 前エントリーに引き続き、中野信子著「サイコパス」の話をする。

サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)


 中野信子氏は、共感性の欠如仮説の立場より、サイコパスの脳の特徴を次のようにまとめている。

 脳の前頭前皮質のうち、眼窩前頭皮質と内側前頭前皮質の両方の機能が低下していると、反社会的行動の危険性が高まります。
 そしてサイコパスは、扁桃体眼窩前頭皮質および内側前頭前皮質とのコネクティビティが弱いとされています。
 大まかに、扁桃体の異常は「感情の欠如」に関わり、前頭前皮質の異常またはコネクティビティの弱さは学習や自省、情動を抑えるといった「認知」に関わると考えられます。


 実は、中野信子氏の著書の前にサイコパスについて読んだ本がある。米国の神経科学者ジェームス・ファロン著「サイコパスインサイド」である。

サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅

サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅


 本書の概要は以下のとおりである。
 ファロン氏はPETやfMRIを駆使して、サイコパスの画像所見にある特徴的なパターンを認めることに気づいていた。しかし、ある日、自分を含めて撮った正常対照群の画像を解析中に、サイコパス特性のあるものが見つかり調べてみたところ、そのスキャン画像の持ち主が自分であったという衝撃的な事実に気がついてしまった。サイコパスの研究を進めるなかで、成功した神経科学者となった自分の人生を振り返り、三脚理論を提唱するに至った。


 三脚理論については、中野信子著「サイコパス」に次のように紹介されている。

  1. 眼窩前頭前皮質と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機能低下
  2. いくつかの遺伝子のハイリスクな変異体(MAOAなど)
  3. 年少期早期の精神的、身体的、あるいは性的虐待

 この3つが揃わなければ、反社会的行動をするサイコパスにはならないと指摘しています。さらに、ファロン自身および彼の一族は1.と2.には該当する(!)ものの、3.だけがなかったということを告白しています。


Amygdala

 扁桃体は上図で赤く示されている部分である。
 扁桃体大脳辺縁系の一部であり、快・不快、恐怖といった基本的な情動を決める。感情を伴う「熱い共感」に関わる部分であり、「他者に必要とされる・愛される」といった、より高次で社会的な行動に対しても、報酬系の一部として活性化される。しかし、サイコパスでは、扁桃体の機能が低下しており、恐怖や不安といった基本的な情動の働きが弱い。このため、情動よりは理性や知性が働きやすく、合理的な計算づくの対応を選ぶ。


Ptsd-brain


 内側前頭前皮質は上図で紫色で示された部分であり、眼窩前頭皮質はその下方の部分である。扁桃体 (amygdala)はオレンジ色で示されている。
 眼窩前頭皮質は、相手に対する共感を持つことで、衝動的な行動にブレーキをかける。一方、内側前頭前皮質は良心によるブレーキをかける。人間は成長するにつれ、このような社会性を司る前頭前皮質と、恐怖や罰を痛みとして受け取る扁桃体のコネクションができてくる。サイコパスは、恐怖や罰から社会的文脈を学習して、罪や罰の意識を覚えることができない。いわば、良心というブレーキがない脳を持っている。サイコパスは、自分の特徴にどこかの時点で気づく。サイコパスも良心の呵責や罪悪感を口にすることがあるが、「自分が悪いと感じているように見せる」ことが有効な処世術だと理解しているだけである。
 なお、勝ち組サイコパスと負け組サイコパスとでは、背外側前頭前皮質の厚さ、体積が違うことがわかっている。背外側前頭前皮質は、計画性や合理性、論理性を司る領域であり、「いまこれをやったら、あれが台無しになる。だからやめておこう」という冷静な判断を行う。このため、短絡的な反社会的行動を起こしにくい。


 サイコパス研究の結果、共感と良心に関係する脳の領域が明確になってきているといえる。失語症研究のなかで、言語野が特定されたのと同様の経過である。
 大多数の人間は情動と良心を結びつけることのできる脳を標準装備として生まれてくる。そして、社会のルールを身につける過程を経て、共感し人のために行動することに喜びを感じる脳を作りあげていく。原始的な脳である大脳辺縁系と人間らしさの特徴となっている前頭前皮質が、出生後の脳の成熟の過程を経て強固に結びつく。人間の特徴である向社会性に関する生物学的基盤の説明として、納得できる興味深い仮説ではないかと思う。