当院の被災状況
当院の被災状況に関する写真をアップする。
# 外来棟(クリニック)
1974年に1期建設後、1989年の3期建設まで計3回増築された建物である。阪神淡路大震災後の耐震評価で、予想される宮城県沖地震で重大な損傷を受ける可能性があるとのことで、耐震工事を行った。
しかし、マグリチュード9.0、震度6強という予想を超える巨大地震では、継ぎはぎだらけの建造物はもろかった。北玄関の4階からコンクリートが崩落し、ひさしの上に落ちている。第1期棟と2期棟の継ぎ目部分となっている部分が脆弱となっていた。人身事故が起こらず幸いだった。
最も新しい3期部分の外壁が崩れ落ちている。
建物の中はご覧のような惨状である。1期棟と3期棟間の床が抜け落ちそうになっている。
3期棟5階部分が傾いている。本震に近い程度の余震が起こった場合には、崩落の危険性がありと消防署から判断され、ついにレッドカード(立ち入り禁止)となった。
# 病棟
1999年に建てられた病棟の方は、外来棟よりは地震に対して強かった。
しかし、1階部分の階段踊り場の損傷が顕著であり、2つの階段のうち1つが使用禁止となった。
旧手術室を改装した5階リハビリテーションスタッフ室のスプリンクラーがはずれ落ちている。漏水が生じたため、5階は全てスプリンクラー使用中止となった。
その他、壁のひび割れ、窓枠のはずれなど改修を必要とするものは少なくなかったが、使用不可能となる事態は避けられた。現在、外来棟部分の機能を吸収し、狭いスペースの中で職員が獅子奮迅の働きをしている。
他院訪問時に撮った写真もあわせて提示する。
# 仙台市立病院
屋上の煙突が今まさに転落しそうになっている。屋内の破損も著しく、使用不可能となっている病棟もある。エレベーターは自己責任で使用してくださいと言われ、階段を使って移動した。
# 東北厚生年金病院
玄関前に貼られた張り紙が示すとおりである。東北厚生年金病院でも建築物の継ぎ目部分の障害が強く、写真のように離開している。
仙台市立病院も東北厚生年金病院も、阪神淡路大震災前の建造物である。また、当院外来棟も東北厚生年金病院も継ぎ目部分の損傷がより激しい。仙塩総合病院、石巻市立病院、南浜中央病院など医療機能を失った病院も少なくない。今回の大震災に耐えうるように十分な耐震性を備えることは、災害拠点病院の最低条件である。増築を繰り返し迷路のようになっている病院は、いざという時には役に立たないと感じた。