雇用というのは生産の「派生需要」に過ぎない、という発言
2009年2月8日、朝日新聞の耕論「企業の雇用責任どこまで」で、島田晴雄氏(千葉商科大学長)の発言が載った。その中で、島田氏は、次のような主張をしている。
- 企業は経済環境の変化に対応し、必死に生き延びるために雇用調整を急いでいるのであって、その経営判断は全く適切だ。
- 世界規模でコスト競争を迫られている企業にとって、非正社員の存在は、経営の柔軟性を確保するために欠かせない。
- 企業が蓄えている内部留保を雇用維持にあてることにも反対だ。雇用維持に使われるようなことがあれば、成長性を疑われ、株価が下がってしまうだろう。
- 生産があるから雇用が生まれるのであり、雇用というのは生産の「派生需要」に過ぎない。つまり企業にとって最大の社会的責任と使命は、生産性を上げて競争に勝つ以外にない。それができなければ生き残れず、新たな雇用創出もできない。
- 企業が今やるべきなのは、雇用調整と同時に、競争に勝つ戦略を立てることだ。
- 雇用問題の矛先を企業に向けるのは筋違いで、政府の施策が生ぬるいことが最大の問題だ。
- 企業の生産基盤を強化するのも国の責務なのに、法人税率引き下げや、海外からの投資が入りやすい環境整備は一向に進んでいない。政府の怠慢は目を覆うばかりだ。
雇用というのは生産の「派生需要」に過ぎない、という発言に目を疑った。企業は利益追及が役割であり、雇用確保の社会的責任はない、ということをあからさまに述べている。雇用問題はセーフティーネットを整備しない政府にあると責任回避をする一方、法人税減税など企業優遇措置をいっそう強化せよと言っている。失業対策、社会保障にかかる費用はいったいどこから捻出するつもりなのだろうか。
雇用と派生需要をキーワードに検索してみると、小泉政権における構造改革−雇用問題への対応−という島田晴雄氏の論説がヒットした。「中部産生研フォーラム」2001年秋号に掲載されたものである。雇用=生産活動の派生需要という考え方は島田晴雄氏の持論であることがわかった。
雇用対策の基本は経済成長
雇用自体は生産活動の派生需要といわれており,生産活動がなければ雇用も生まれない。雇用を増やすには生産を増やすのが基本で,雇用だけを増やすわけにはいかない。したがって,失業対策のように,政府が資金を拠出して人を雇うというのは,全く非生産的なやり方で,その予算措置がなくなればまた元の木阿弥になる。技術も身につかないしかえってよくない。政府が予算をつけて人を雇うのはよほどの緊急事態であって,普通はやってはいけない。雇用対策の基本は産業活動を発展させること,経済を活発にさせることで,その派生需要としての雇用を増やすことである。雇用対策の基本は経済成長なのである。
問題はその経済成長を今日の日本でどう達成するかである。日本政府は,バブルが崩壊してから150兆円以上もの財政資金をつぎ込み経済回復を図ったが,成功しなかった。この資金の大部分を未来の国民に国債という形で押しつけてしまい,財政は非常に深刻な事態に陥っている。なぜ,成功しなかったのだろうか。それは,日本が戦後のキャッチアップ時代に築いた古い経済構造,経済システムを残したままで資金をつぎ込んだためにほかならない。
こうした事態を省みて,小泉政権はこのような経済構造を根底から変えることにより経済成長のきっかけをつかもうと努力している。このように考えてくると小泉政権の雇用対策のあり方は自ずから決まってくる。つまり,従来の財政支出による雇用の創出から,規制改革による雇用の創出を目指すことになる。これを私は「攻めの雇用」と呼んでいる。攻めるに勝る守りはない。最大の雇用政策は雇用機会を作ることにある。一方,「守りの雇用」も必要である。雇用機会を失った人に次のチャンスにチャレンジすることができる手立てをどのように与えるかにある。雇用対策はこのように攻めの雇用と守りの雇用の両面から進める必要がある。
氏はさらに「攻めの雇用」と「守りの雇用」について次のように説明する。
- 「攻めの雇用」
- 日本経済は世界最大の貯蓄をかかえているが、将来に対する不安が大きく使われない。切実な不安があるのは、介護、医療、健康の維持増進、子育ての、住宅問題などである。いいサービスがあれば当然人々は貯蓄を消費する。それによって雇用も生まれる。安心ができる。このように経済は好循環になる。
- 小泉改革は、規制改革をすることでこれらの分野に民間事業者が参入することにより、それを必要とする人々に提供できる状況を作ることにある。
- 「守りの雇用」、いわゆるセーフティネット
- 一つは情報の提供である。情報提供を密にすることでかなりの失業者をカバーできる。
- 二つ目は、職業訓練,能力開発である。
- 三つ目の柱は所得保障、失業保険で、能力開発や求職活動をしている期間の所得を保障してそれに打ち込める状況を作ることである。
介護分野への民間事業者の参入、医療分野における混合診療化推進、製造業への派遣労働解禁、といった小泉構造改革路線で推進された各種改革が「攻めの雇用」、「守りの雇用」という言葉で説明されている。
確かに介護分野への民間事業者参入により基盤整備は拡大し、新たな雇用も生まれた。しかし、営利を目的とする事業者の活動は質の担保には結びつかず、コムスンのように退場させられる事業者も生まれた。何よりも度重なる介護報酬引き下げで、介護労働者の賃金は低い水準に抑えられ、人手不足が解消されない事態になっている。また、公的介護保険以外の上乗せサービスも費用負担ができる層に利用が限られ、大規模な雇用創出には結びついていない。
小泉政権下、企業の生産性は一見向上したかに見えた。しかし、実際は労働者の取り分が低下した分、企業の収益が向上したに過ぎなかった。低賃金不安定労働が世の中に広がり、内需は拡大しなかった。それぞれの企業が合理的と思われる経済活動をしても、マクロ経済としてはむしろ縮小に向かうという合成の誤謬という言葉そのものの事象が生じている。こうした中、アメリカでバブルがはじけ輸出主導型の製造業を直撃し、日本経済の先行きを脅かしている。経済が上げ潮の時はともかく、下り坂の時に雇用調整を安易に行ったことにより、そのしわ寄せは解雇された労働者にふりかかっている。
将来不安が消費行動を控えさせているという部分には同意する。しかし、規制緩和を持ち込み、民間事業者を参入させることには反対する。介護や医療、教育という分野は、宇沢弘文氏らが提唱する社会的共通資本である。経済的にゆたかなものだけが享受できる分野ではない。社会保障制度を公的な立場で充実させ、低所得者層も安心して生活できるようにすることが、消費活動を活発化させる。
朝日新聞の耕論「企業の雇用責任どこまで」では、大坪清氏(レンゴー社長)の発言が島田晴雄氏のアンチテーゼのような形で載っている。当ブログでも、派遣社員を正社員にした会社の株価が上昇(2008年1月21日)というエントリーでレンゴーの取組みを紹介した。雇用維持で社会的責任を果たす企業の方が従業員の士気をあげ、結果として生産性を向上させ、競争を勝ち抜いている。大坪氏が企業の社会的責任について述べた部分を引用し、まとめに変える。
土地も労働力も、社会と切り離せない。それを使って製品やサービスを生み出すのだから、企業は株主に対してだけでなく、従業員や顧客、地域といった社会全体に対して責任を負う公器だ。これまでは経営者の半分以上が、アメリカ的な株主資本主義に疑問を抱きつつも乗っかってきたが、いま会社が誰のものかが問われる中で、雇用のあり方も見直す時期ではないか。