震災後の宮城県内人口移動(改訂版)

 以前、震災後の宮城県内人口移動(2011年8月9日)というエントリーを記載した。宮城県から、9月2日付で、宮城県の推計人口(平成23年8月1日現在)について(訂正)という報道発表資料が出された。別紙3 市町村別推計人口増減数内訳(平成23年3月1日〜平成23年8月1日)をもとに社会増減の資料を作ってみた。なお、女川町と南三陸町は、被災した住民基本台帳ネットワークが未復旧のため、データがない。


 次のように色分けをした。

  • 赤: 1000人以上減
  • 橙: 100-999人減
  • 黄: 1-99人減
  • 青: 0-99人増
  • 水色: 100-999人増
  • 緑: 1000人以上増


 社会増減が著しい主な自治体は次のとおりである。


 前回のエントリーのまとめを再掲する。


 社会増減をもたらした原因として、2つのことが考えられる。一つは、津波被災地に住みながら仙台に通っていた住民が、仕事場に近い仙台市および近郊に転居していることである。仙石線常磐線が未だに不通となっている。

 もう一つは津波被災地からの呼び寄せ老人の増加である。当院にも、沿岸部被災地からのリハビリテーション依頼が明らかに増えている。長期化する被災生活の中で、脳卒中などの発症リスクが高まっている。しかし、地元の医療機関や介護事業所が被災する中で、療養生活がままならない状況となっている。

 津波被災地の人口減と、仙台市への人口集中が今回の震災をきっかけに一気に進んできている。