墨廼江酒造の挑戦 われわれには酒造りしかない

 同窓会は、勝山館で行われました。「勝山」は、仙台藩伊達家御用蔵として格式を誇っています。最近、ANAの国際線にも採用され、話題となっています*1。勝山館の隣にある蔵を見ると、屋根瓦が落ち、ブルーシートをかぶせられています。詳しく聞いてみると、設備関係の損傷が激しかったということです。同窓会の席にも出されていました。震災に堪えた蔵元の大事なお酒と感じながら堪能しました。


 東北地方の他の蔵元も被害は甚大でした。中でも気になっていたのは、石巻の「墨廼江」と「日高見」です。両者のうち、「墨廼江」の方がより深刻な状況ということがわかりました。墨廼江 宮城県 墨廼江酒造 2 | 地酒専門店 新井屋酒店 BLOGをみると、次のように記載されています。

ご家族、社員共全員無事との事です。


激震によりタンクが傾き、蔵の被害を調査していたところ、ゴーと津波が押し寄せてき、全員をコンテナ冷蔵庫の上に避難させるのが精一杯だったそうです。


 河北新報に、後日談が載っていました。

 同市千石町の墨廼江(すみのえ)酒造。再建は蔵に流れ込んだ泥のかき出しから始まった。
 「3日間、水が引かなかった。水道が使えるようになれば助かる」。帽子にマスク姿。社長の沢口康紀さん(47)が手を休めて苦笑いした。
 地震醸造用タンクからもろみがこぼれ、酒米は水浸しになった。瓶詰め用の一升瓶はコンテナに入っていて無事だったが、「新たな仕込みは無理。商品にできないもろみもあり、出荷量は例年の半分あるかどうか」という。
 墨廼江酒造は1845年に創業し、旧北上川河口の中瀬地区で海産物問屋などを手広く営んだ。1933年の昭和三陸津波で大きな被害を受け、今の場所に移った。
 沢口さんは大学卒業後、サラリーマンを経て家業を継いだ。周囲の猛反発にもかかわらず、兼業していた卸売業をやめ、酒造業に専念した。
 「酒が被災前と同じように売れるかどうか分からない。一歩一歩動いているうちに見えてくる景色が変わってくるんじゃないか」
 22日、震災後初めて集まった社員を前に宣言した。「われわれには酒造りしかない。何としても来季の酒を造る」

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1070/20110418_12.htm#


 「われわれには○○しかない。何としても△△をする。」というフレーズは、どこの被災地の住民も持っている思いです。自らの仕事に誇りを持っているからこそ言える言葉です。

[rakuten:shochukikou:10001013:detail]


 たまたま、近くのショッピングモールで「墨廼江 弁慶岬」を売っていました。発売日は2011年4月となっています。津波の中から助け出された極上の大吟醸酒です。東北地方の一刻も早い復興を祈りながら、味わっています。