奈良時代の政権交代
今年は、平城京遷都1300年にあたり、奈良県では記念事業が盛んに行われている。せっかく奈良路を訪れ、多くの寺社を拝観したこともあり、なじみの薄い奈良時代の歴史をまとめてみた。
西暦 | 天皇 | 政権交代等 | 地方の乱等 | 寺院建築等 |
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710 | 元明天皇(708〜)。 | 藤原不比等、平城京遷都を主導。 | 興福寺、薬師寺、元興寺、大安寺等移築。 | |
715 | 元正天皇即位。 | |||
720 | 藤原不比等没。長屋王、政治を担当。 | |||
724 | 聖武天皇即位。 | 蝦夷の反乱。多賀城を築く。 | ||
729 | 長屋王の変。藤原4兄弟の台頭。光明子皇后に。 | |||
737 | 天然痘流行し、藤原4兄弟死去。橘諸兄政権へ。 | |||
740 | 恭仁京、難波恭、紫香楽宮に短期間遷都し、745年、再び平城京へ。 | 藤原広嗣の乱(太宰府)。 | ||
747 | 新薬師寺創建。 | |||
749 | 孝謙天皇即位。聖武天皇、太上天皇へ。 | |||
752 | 東大寺大仏開眼供養。 | |||
754 | 鑑真来日。 | |||
755 | 藤原仲麻呂政権へ。 | |||
756 | 聖武太上天皇没。 | |||
757 | 橘諸兄没。橘奈良麻呂の乱。 | |||
758 | 淳仁天皇即位。 | 藤原仲麻呂が恵美押勝の名を与えられる。 | ||
759 | 唐招提寺創建。 | |||
764 | 称徳天皇(孝謙天皇)重祚。 | 恵美押勝の乱。道鏡台頭し、翌年太政大臣禅師、翌々年法王へ。 | 西大寺創建。 | |
770 | 称徳天皇没。光仁天皇即位。 | 道鏡、下野に左遷。藤原氏、再び政権の中枢へ。 | ||
780 | 蝦夷の首領、伊治呰麻呂の乱(陸奥国)。 | |||
781 | 桓武天皇即位。 | |||
784 | 長岡京遷都。 | |||
794 | 平安京遷都。 |
赤字は女帝を、青字は藤原氏政権を示す。
称徳天皇までが天武天皇系である。一方、光仁天皇およびその息子の桓武天皇は天智天皇系であり、平安時代への前史ともいえる時期である。淳仁天皇は恵美押勝の傀儡であったため称徳天皇にすぐに廃位させられたことを考えると、奈良時代の男性天皇は実質的に聖武天皇のみとなる。このような状況では、政治の実権は、有力な氏族か王族に握られることになる。
奈良時代には約10年単位で政権交代が生じている。橘諸兄が最も長く、18年間、政治を担当した。藤原氏とそれ以外の勢力が交互に政権につく構図がある。なお、平和裏に政権委譲が行われることはなく、内乱、陰謀、疫病によって、権力者が交代している。平安時代になると、藤原氏北家が外戚の地位を独占するようになり、摂関政治の全盛期を迎えることになる。しかし、奈良時代の藤原氏は、不比等の威光はあったものの、まだ絶対的な権力は握っていなかった。血なまぐさい闘争が都の地で行われていた。
奈良時代は、国家鎮護のため仏教が利用されていた。南都七大寺と呼ばれるような大寺院は国家か有力者の保護にあった。なお、南都七大寺とは、東大寺、興福寺、薬師寺、元興寺、大安寺、西大寺、法隆寺を指す。源平、南北朝、戦国の争乱や、天変地異の影響で、多く寺社が伽藍を失い、仏像などの宝物を破損した。厚い信仰に支えられた一部の寺院は再興を果たすが、歴史の流れの中で往時のたたずまいを失った寺院も少なくない。
奈良路を訪れた時にみる数々の文化財は、繰り返された数々の破壊を免れたものである。奈良時代の中央政権に痛みつけられた蝦夷の末裔がこんなことを言うのはおかしなことかもしれないが、美しき古都を訪れ、あらためて貴重な文化遺産を守り続けなければいけないという思いを強くしている。