日本とトルコの友好関係の原点、エルトゥールル号事件

 トルコのイスタンブールで、ISPRM2009(第5回国際リハビリテーション医学会議)がまもなく開催されようとしている。トルコは世界有数の親日国である。トルコと日本との間で「2010年トルコにおける日本年」という取り組みが進められている。外務省: 2010年トルコにおける日本年をみると次のような記載がある。

平成21年5月7日


 2010年は、日本とトルコの今日の友好関係の原点といえるエルトゥールル号事件の日本訪問および遭難から120年目の節目を迎えます。私たちは、この機会に、「2010年トルコにおける日本年」を開催し、世界有数の親日国とも言われるトルコとの絆をより一層強いものにしていきたいと考えています。


 「日本年」の趣旨にご賛同頂ける多くの方々のご参加をお待ちしています。


 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/turkey/2010/ertugrul.htmlから引用する。

エルトゥールル号事件について
平成21年1月28日


 1887年、小松宮彰仁殿下及び同妃殿下がトルコを訪問し、皇帝アブドゥル・ハミト2世に謁見しました。1889年7月、これに対する答礼として、同皇帝はオスマン・パシャ提督(海軍少将)率いる総勢650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本に派遣します。1890年6月、同使節団は横浜港に到着、オスマン・パシャ提督は明治天皇に拝謁しオスマン帝国の最高勲章を奉呈しました。


 同年9月、同使節団はトルコへの帰路に就いたのですが、エルトゥールル号は神戸を目指して航行中、和歌山県紀州沖にさしかかったところで台風に遭遇してしまいました。強風と高波の中、エルトゥールル号は樫野崎灯台を目指して航行しましたが、運悪く、沖合約40メートルで座礁し、沈没しました。


 この海難事故により、オスマン提督以下乗組員587名が死亡するという大惨事となりました。そのような中、付近の住民の献身的な救助により、69名の乗組員が救出され、後に日本海軍の巡洋艦「金剛」及び「比叡」により丁重にトルコに送還されました。また、日本国内でも犠牲者に対する義援金の募集が広く行われました。


 このように、エルトゥールル号の海難事故自体は極めて痛ましい事件ではありましたが、その際の日本官民あげての手厚い事後対応はトルコ人の心を打ったとされます。現在では、エルトゥールル号の日本訪問とその後の遭難事件は、両国の友好の原点の出来事とされています。


 その後、海難現場の和歌山県串本町には、「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」が建立され、毎年慰霊式典が開催されています。また、串本町姉妹都市であるトルコのメルシン市でも、串本町のものと同じ慰霊碑が建立されています。


 2008年6月、即位の礼を除き、二国間の公式訪問としては初のトルコ元首の訪日となるギュル大統領の訪日が実現し、串本町で行われた慰霊式典に参加されました。


 現在、串本町では、エルトゥールル号の発掘プロジェクトが進められています。


 本当かどうかは不明だが、トルコの教科書にはエルトゥールル号事件が必ず載っているらしい。トルコの人々は義理堅い古風な美質を持っている。120年前のことをいまだに覚えていてくれる。
 オスマン・トルコ帝国はその軍事力で中世ヨーロッパ諸国に脅威を与え続けていたが、この頃には国力が衰え「死にかけた病人」にたとえられていた。東アジアにおける清国と同様の状況だった。19世紀後半から20世紀前半は帝国主義の時代であり、列強は世界各国で植民地獲得に明け暮れていた。弱肉強食が当たり前の世界情勢の中でオスマン・トルコ帝国は、英・仏・露などの格好の標的となっていた。このような状況の中で起こったエルトゥールル号海難事故に対する日本の対応は、トルコにとっては信じられないような出来事だった。しかも、その極東の小国が14年後にはトルコの天敵ロシアを日露戦争で打ち破ったことは二重の驚きだった。トルコ共和国の設立者アタチュルクは、トルコ再生の手本を日本に求めた。この辺りにトルコの日本びいきの鍵がある。


 残念なことにトルコが親日感情を抱く特別な国であることは日本ではさほど知られていない。トルコと日本が、2002年サッカーワールドカップのベスト16で対戦したことも忘れさられようとしている。雨降る宮城スタジアムで日本代表は散った。ましてや、エルトゥールル号事件がトルコの親日感情に多大な影響を及ぼしたということなどほとんど知られていない。


 エルトゥールル号遭難事件で、船員の救助活動に尽力した串本の人々は別にトルコの船だから助けた訳ではない。共同体意識の強い当時の日本人にとって、困った時はお互い様であり、当たり前の行動だった。
 軍事力をかさにきて相手を抑えつけようとするとかえって反発を招く。泥沼のイラク情勢をみると、その感を強くする。一方、助け合い精神をもとにした援助は、国際社会において名誉ある地位を高めることに通じる。世界は狭くなり、様々な分野で国際協力が当たり前のように行われている。大災害時の救援活動、インフルエンザパンでミック対策などは典型的な例である。


 「おたがいさま」と助けあいながら、平和に共存していくことがこの世界には必要なことではないかと考える。エルトゥールル号事件はそんなことを思い起こさせる歴史の一こまである。