身体拘束最小化に向け、病院管理部の姿勢が問われる時代

 朝日新聞社説、身体を縛る−原則禁止を広げるにはより。

身体を縛る−原則禁止を広げるには


 本人の同意なしに患者を縛るのは、病院といえどもやはり違法??。名古屋高裁が今月5日、判決を出した。


 愛知県一宮市の病院に入院していた女性患者が、必要もないのに体を拘束されたとして、病院を相手取って損害賠償を求めた控訴審判決は明快だった。高裁は病院に70万円の支払いを命じ、原告側が逆転で勝訴した。


 判決によると、事件が起きたのは03年11月の夜のことだ。圧迫骨折で入院した当時80歳の患者が、看護師にひもの付いたミトン(手袋)で左右の手をそれぞれ覆われ、ひもでベッドのさくに固定された。腰が痛くて上を向いて寝られない患者はミトンをはずそうともがき、手と唇に軽いけがをした。


 患者は看護師を呼ぶナースコールを何度も押して、汚れていないおむつの交換を要求したり、車いすで看護師詰め所に来たりした。患者の意識が混濁し、転ぶおそれがあるので拘束が必要だったというのが病院側の言い分だ。一審判決は病院側の主張を認めて原告の請求を退けた。


 たしかに、病院は介護施設とちがって命にかかわるような患者も少なくない。人工呼吸器や点滴を患者がはずしてしまうようなことは防がなくてはならない。入居者を拘束することが旧厚生省令で原則として禁止されている介護施設と同列には扱えないだろう。


 しかし、拘束が必要かどうかは介護の世界で使われている三つの条件に照らして判断すべきだ、と高裁は指摘した。(1)患者に切迫した危険が迫っている(2)ほかに手だてがない(3)長くは続けず一時的。この三つである。


 この判断はバランスがとれており、病院も受け入れられるのではないか。


 訴えを起こした患者はこれらの条件に当てはまらなかった。自分でトイレに行ける患者には、おむつではなくトイレに付き添い、看護師が寄り添って不満や不安に耳を傾ければ患者も落ち着けたのではないか。


 介護施設では縛らない介護が少しずつ進んでいる。病院でも安易な拘束がまかり通っていないか、見直してほしい。病に苦しんでいる人がさらに苦しい目にあうことがないよう最大限の配慮をしてもらいたい。


 「老人に自由と誇りと安らぎを」と福岡県の10病院が抑制廃止福岡宣言をしたのは10年前だ。中心になった有吉病院では、おむつをやめて患者をトイレに誘導し、鼻からの栄養補給をやめて口から食べてもらう努力をした。生活の質が上がると、患者の「問題行動」が減り、縛る必要がなくなった。


 人手がかかるこの試みは、残念ながら広がらない。医療費の抑制が続くなかで病院の持ち出しが増えるからだ。必要な人手が確保できなければ患者は守れない。高裁判決が突きつけたのは、日本の貧しい医療の現実だ。


 病院の身体拘束、違法と初めて判決(2008年9月8日)というエントリーで、本判決についてとりあげた。朝日新聞社説に記載されている経緯のとおりならば、本件では身体拘束の必要性がなかったと私も判断する。判決は妥当である。その後の情報がなく判決が確定したかどうかは不明である。上告されていないとするとこれが判例となる。
 今後、病棟機能の類型化が一層進む。急性期病棟では、切迫性、非代替性、一時性の3要件を満たす例が多く、身体拘束をやむをえず行う例はなくならないだろう。一方、療養病床などでは介護施設と同様に身体拘束をできる限り行わない運営が求められる。身体拘束最小化に向け、病院管理部の姿勢が問われる時代が来た。