尾辻秀久、二木 立、権丈善一、3氏による医療座談会(下)

 前回に引き続き、権丈のホームページ(9月5日)にある、週刊東洋経済に掲載された医療座談会の後半部分を紹介する。

# 「高齢者医療制度で議論二分 経済界寄りの政策の是正を」


 尾辻: 10年の長きにわたり、独立型だとか、突き抜け型だとか、リスク調整型だとか、一元化方式だとか、いろいろと議論をしてきました。そして国保をどうするかの議論の中から75歳以上を加入者とした独立の保険制度をつくるしかないという判断になったのです。
 二木: 長年の議論と言われますが、後期高齢者医療制度が何でできたのかを一言で言うと、「弾み」でできたと私は言っているんです。
 歴史にイフは許されないとは思いますけれども、あの選挙(05年9月の郵政選挙)がなかりせば、老健制度は続いていたと思いますし、厚生労働省は大臣から事務次官以下、ほとんどの幹部が老健制度の維持か微調整で固まっていましたよね。後期高齢者医療制度固執しなくても、老健制度のままでよかったのではないか。現に老健制度はよくできた制度だと思っています。
 私があの制度(老健制度)を最も評価するのは、お年寄りも若人もしかるべき保険に入ったうえで、高齢者の医療費には財政調整をやっていることです。
 権丈: 厚労相だった尾辻先生たちは、経済界、諮問会議からの高齢者医療費抑制の圧力を前に、高齢者1割負担というこれまでの聖域を守るには、75歳で年齢を区切るしか方法がなかった。私も自民圧勝の「弾み」で生まれたのかなと受け止めています。
 多くの経済学者には、社会保険料と税金が同じものに見えるようなのですが、保険料と税金を比べると明らかに無視できない違いがある。財務省は保険料についてはなかなか口出しできないが、税金にはものすごく口出しできる。どうしても給付抑制がかかり、「後期高齢者に対する診療報酬を下げたり、終末期患者扱いして医療を手薄にする手法を採るよう圧力をかけてくるおそれがある」と、私は本誌07年9月8日号で述べています。ただ、今回の改革には悪いところばかりじゃない。財界人の強い意向を受けてシステムを変えた割には、健保組合の負担が上がっている。前期高齢者医療制度という形で財政調整、具体的には年齢によるリスク調整が65歳までポンと下ろされてしまったので、健保組合の負担が上がっているんですね。
 そこまでいったのだったら、前期高齢者の仕組みを後期高齢者にまで拡大して65歳以上でリスク調整を行う。そうすれば、国保の救済にもつながる。そして、今回改革された政管健保都道府県運営を今後も生かし、国保都道府県単位の広域連合の受け皿を利用した運営に発展させれば、かなりよい制度になると思うんです。制度なんて直線的に進化するものじゃないですし。
 二木: 理想を言えば、私は都道府県単位で全医療保険を一本化するのが公平かつ合理的だと思っています。ただし、企業負担は従前どおりきちんと払ってもらうということが前提です。
 ただ、後期高齢者医療制度に対置して、そんな理想を言ったって、今の時点では実現する可能性はゼロです。その点で次善、三善の策で考えると、今の制度よりは老健制度のほうがましです。
 要するにお年よりはすぱっと別建てにするのではなく、それぞれの保険で包括したうえで財政調整すべきだと思います。
 保険料の場合にはワンクッション置きますけれども、税金だったらストレートに国家の介入が起きる。
 私がこのことをいちばん痛感したのは、90年代にイギリスの医療制度を研究したときでした。ご存じのように、イギリスは税金による医療制度ですが、サッチャー政権が医療費を極端に抑制しました。80〜90年代当時、日本でも医療費抑制が続きましたが、社会保険制度だからワンクッションあった。
 公費を大きくするということは、逆にものすごい財政圧力がかかる。そういう点から、年齢のいかんにかかわらず、お年寄りを別枠にすることにはまったく賛成できないわけです。
 権丈: 強いてどれを選ぶかというと、リスク調整方式ですよね。
 二木: ええ、そうです。ただ、政治的力関係で言って、全年齢リスク調整方式は被用者保険にとって財政調整の負担がきついから、ぎりぎりで老健制度のほうが現実的だと。
 権丈: 年齢によるリスク調整を65歳まで下ろした前期高齢者医療制度や、政管の都道府県単位化や広域連合という運営形態も捨てがたい。
 尾辻: 国保がもつかもたないかという判断なんです。国保が何とかやっていけるという判断に立てば、リスク調整方式でやれると思う、ただ、私は国保がもたなくなると判断したがゆえに、後期高齢者医療制度の創設は避けがたかったと申し上げている。
 二木: その点で言えば、84年のいわゆる医療保険制度抜本改革のときに国保への国庫負担率を大幅に下げましたよね。あそこで国保をガタガタにしたのが痛い。あそこまで戻って国保負担を元に戻すことをしないと、国保はもたないと思います。
 権丈: 私は日本の政策形成の特徴の一つは、経済界の影響力が強すぎることにあると思っています。ヨーロッパでは、政策形成過程で政労使のうち労も参加していて、労働者の意見もきちんと反映される国が多い。ところがこの国では経済財政諮問会議を見てもわかるように、経済界代表しかいない。こういう国で税金を生活部門に優先的に回しましょうという声を政策に反映させるのは至難の業。
 北欧のように、租税が生活インフラに優先的・安定的に回される政策形成システムをつくるには、労働が経済界へのしっかりとした拮抗力として存在していないといけない。しかし、残念ながら、この国ではそれを望むのは難しい。給付の安定は言い換えると財政が硬直的になっていることです。財政が硬直的でないと給付は安定しない。日本のように経済界の力が強い中で租税を使うと、かなり不安定な制度が出来上がるんです。
 二木: そのいい例が、経済界が基礎年金の租税負担制度に賛成するという、逆転現象ですね。
 権丈: 使用者の影響力の強さがこの国の政策形成における特徴である以上、われわれ生活者はディフェンスを張らなきゃいけない。社会保険というのは確かに相当弱点を持っています。けれども社会保険には、医療は年金に鎧をかぶせて給付抑制圧力から守ってくれる長所がある。財政を硬直的にしておかないと、社会保障そのものが壊れてしまう。
 二木: 国と言うよりも究極的に税の負担を拒む国民が国にそうさせている。ただ、労働の制度にしろ社会保障にしろ、使用者側に有利に政策形成がなされやすいようにできているのは日本の制度的特徴です。
 権丈: それは確かですね。だって、経済財政諮問会議の4人のメンバーのうち、何で2人が経済界関係者じゃなきゃいかんのですか。それにずばり言いますが、経済界いおべんちゃらを言う学者が2人もおられたら、経済財政諮問会議そのものが経済界ですよ。

( )内は文脈より補足。


 後期高齢者医療制度をめぐる話題では、尾辻氏は制度設計に関わったこともあり防戦一方である。二木・権丈両氏が指摘するように、後期高齢者医療制度創設の目的は医療費抑制強化である。ここは、よりましな老健制度に戻すことが適当と思える。しかし、後期高齢者医療制度が「弾み」でできたものとは驚いた。郵政選挙で小泉自民党に圧倒的多数の議席を与えた有権者は、まさかこんな形で医療に歪みがもたらされるとは思わなかっただろう。
 租税と社会保険をめぐる議論は新鮮である。租税で運用するより、社会保険料でまかなう方が、給付抑制圧力から防御できる。用途が決まった硬直化した財源があるほうが社会保障制度を守る上で有効であるという主張には考えさせられる。
 経済界が政策形成に悪影響を及ぼしている。したり顔に政策提言をする財界幹部の姿や御用学者をみると、憤りを覚える。労働界もだらしなさ過ぎる。連合の主流派は御用組合である。派遣労働の問題にせよ、社会保障改悪にせよ、身体をはって制度改悪に立ち向かってはいない。
 権丈氏が述べた3つの壁(莫大な累積債務、社会保障や教育など公的サービス部門が崩壊寸前、政府不信)のため、日本は先が見えない閉塞感に覆われている。複数の疾患を抱え、治療に難渋している重病患者にみえる。
 権丈氏は、積極的社会保障政策という景気対策――社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろうということを述べている。大村昭人氏は、医療立国論と言う著書で「医療は確実な成長産業、経済活性化の鍵」と主張している。医師数増への政策転換は医療関係者の運動の成果である。英国では、ブレア政権の下、医療費大幅増に舵を切った。日本でも、世論が政治を動かし、社会保障の充実に方向転換することが可能であると信じたい。