地域ケアを見直そう

 備酒伸彦氏の著書、「地域ケアを見直そう」をご紹介する。以前、本ブログ備酒伸彦氏の講演というエントリーでも氏の魅力についてとりあげた。

地域ケアを見直そう

地域ケアを見直そう


 著者紹介(自己紹介)より、引用する。

 たかだか20年ほどの若造リハビリ屋人生ですが、振り返ってみると3つの時期に分けることができます。
 まず、最初は、老人病院で仕事をした駆け出し理学療法士としての8年間です。
(中略)
 ひよこ理学療法士が育つにはとても良い環境でした。そして何よりも、ここで仕事をするうちに、「この方々は、何で、患者さんとして病院にいなければならないのか?」という疑問をもったことが、私自身を、病院ではなく地域で働くリハビリ屋へと向かわせたわけで、この時期がなければ本書を書くこともなかったはずです。
 次の3年間を県立の総合病院で過ごしました。ここでは、働き盛りの年代の患者さんとたくさん出会い、リハビリ屋としての修行もさることながら、「人が働く、働ける」ということの重大さを思い知らされた時期でした。
 その後、今日まで9年間、兵庫県の北部、(中略)但馬で、地域ケアに関わってきました。
 それまでの11年間の病院勤務で私の頭の中にできあがっていた「高齢者像」は、ここ但馬長寿の郷での仕事で砕け散りました。いわゆる「患者さん」というような人はまわりには1人もいない。皆さん、障害があろうがなかろうが、堂々とした立派な高齢者です。(後略)


 本書の伝えたい内容が、ここに凝縮されている。「障害があろうがなかろうが、堂々とした立派な高齢者」を発見した驚きに満ちあふれている。病院や施設で働く中で、人知れずできあがっていた「思い込み」が砕け散ったことを堂々と認め、その上でプロフェッショナルとしての仕事をしていくという著者の姿に、思わず「参った」といってしまっている自分に気づく。一つ一つのエピソードに意外性があふれ、あっという間に読み終えてしまう。講演そのままの軽妙な語り口が心地よい。


 プライドとメンツという部分から引用する。

 プライドのある人というのは自らに確固たる専門性があって、しかもその専門性に責任をとろうとする態度がある。したがって、自分の領分に入ってくる人に対して、その力量を見極める厳しさはもつものの、力量を認めたうえは、ちゃんと譲り合い、協調できる。
 それに対して、メンツにこだわる人は、そもそも自らに専門性がないか、あっても責任をとろうという態度をもたない。そのために、強固な縄張りを築いて、そこに入ってくる他者を追い出してしまう。
 地域ケアスタッフに求められるのは、いうまでもなくプライドである。チームワークを形作るためにもっとも重要なことは、役に立たないメンツを捨てて、自らの仕事にプライドをもつことであるといえるかもしれない。


 本書は「保健婦雑誌」に連載されたコラムに加筆し、再構成したものであり、想定されている主な読者層は、保健婦・看護師、ヘルパー、ケアワーカーなどである。私は、そこに、リハビリテーションスタッフとリハビリテーション医を付け加えたい。
 リハビリテーションの守備範囲は、幅広い。しかし、現在は多くのリハビリテーションスタッフは病院で働いている。しかも、回復期リハビリテーション病棟というリハビリテーションの流れのほんの一部しか経験していない若いスタッフが多い。全身管理が必要な時期から始める急性期リハビリテーションにおいてどのような技術やチームアプローチが必要かが分からない。また、自宅や施設に入所後、自分が受け持っていた患者がどのような生活をしているのか、イメージできない。リハビリテーション医も同様である。リハビリテーション専門職の研修プログラムを作るうえで、急性期・回復期・慢性期(維持期)の経験を意識的に万遍なくさせることが大事と常々考えている。
 本書は、障害を持っている方の生活の場で、自らの専門性を生かす楽しさを教えてくれる。地域リハビリテーションの入門書として格好のものである。ぜひとも、多くのリハビリテーション関係者に読んでいただきたい。


 最後に、要望を一つ。
 内容の面白さに比べ、タイトルが固すぎる。「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 」や「医療崩壊−『立ち去り型サボタージュ』とは何か?」などの本は、タイトル自身の魅力が大きい。「地域ケアを見直そう」では、インパクトが薄い。ここは、出版社のプロデュース能力が問われている。
 タイトルをつけ直すとしたら、次のようなものはどうか?


 牛小屋の奇跡−半年間寝たままの年寄りが歩いた。


 意味が分からない方は、本書を購入し、お確かめを。