人は働いて幸せを知る

 チョーク製造の日本理化学工業会長、大山泰弘氏が障がい者雇用の意義について、全4回にわたって語っている。http://www.toyokeizai.net/life/column/detail/AC/b37e4dc58d49359e7d2f01d054b08524/などより発言の一部を引用する。
 なお、日本理化学工業は、チョークを製造する従業員74人中55人が知的障害者である。国内シェアが3割あって、業界トップを維持している。

 障害者を雇うようになって数年経っても、彼らがなぜ喜んで工場に通ってくるのか、私は不思議でなりませんでした。工場で働くよりも施設で暮らしたほうが幸せではないかと思っていました。言うことを聞かないため「施設に帰すよ」と言うと、泣きながら嫌がる障害者の気持ちがわかりませんでした。


 そんなとき、ある法事で禅寺のお坊さんと席が隣合わせになり、その疑問をぶつけたことがありました。するとそのお坊さんは即座に「幸せとは、1.人に愛されること、2.人に褒められること、3.人の役に立つこと、4.人に必要とされることです。愛はともかく、あとの三つは仕事で得られることですよ」とおっしゃったのです。私はその言葉に深く納得しました。


 働くことは自分のためであるが人のためでもある。企業が利益を追求するのは当然ですが、同時に社員が幸せを求める場でもあると考えるようになりました。

 一人ひとりと付き合いながら、何ができて何ができないかを少しずつ理解して、工程を改良する。そうやって知的障害者とともにやってきました。それは振り返ってみれば、人間の能力の発見ともいえる作業でした。

 仕事でうまくいって褒められたときや、「君が来てくれたから今日はこの仕事が進むんだ、ありがとね」と言われたときの心地よさ。そうしたときのうれしさは知的障害者も健常者も変わりません。彼らも働くことを通じて我慢することを覚えていくんだと思います。

 障害者雇用は、健常者の従業員の意識も変えました。初めのうちは面倒を見ようという気持ちが強かったのですが、障害者の熱心な働きぶりや成長を見るにつれ、自分たちもしっかりやろうという気持ちになっていきました。何より私自身が彼らに出会ったことでさまざまなことを学びました。


 日本理化学は小さな会社ですが、従業員には社会に貢献しているんだ、弱者の役に立っているんだという自負があります。そうした誇りが、従業員のモチベーションの向上にもつながっていると思います。

 本来、働く場を提供するのは、企業の役割です。経営の素人である福祉関係者が作業所を運営するより、企業経営者が障害者を雇ったほうがさまざまな点で適切なはずです。障害者であっても労働の分野は企業が主体になるべきです。私流に言えば「働くことの幸せ」を、余計な費用をかけて福祉が担当しているほうがおかしいのです。これは行政自らが改革すべきです。


 企業からの賃金と障害者年金を足した金額が、最低賃金を超えていればよいと法改正をすれば、企業の負担もずっと軽くなって、障害者雇用はもっと進むはずです。働ける障害者は企業で働いたほうが、彼らもずっと幸せなのです。社会全体の費用からいっても、ぜひとも導入してもらいたいと考えています。


 厳しい経済情勢の中、労働能力が低い者から真っ先に解雇されている。障がい者法定雇用率を満たすより、納付金を支払った方が安上がりだとする企業も多い。しかし、街中にあふれはじめている失業者、ホームレスの姿をみると、社会の仕組みが狂っていると感じてならない。
 働けることの幸せ、雇用における企業の社会的責任の遵守は、障害者も一般労働者も同じように重要である。障がい者雇用を推進する社会は、障がい者以外も安心して暮らせる社会であると思う。