伊達政宗騎馬像の数奇な運命

 前エントリーについで、銅像の話をする。

 

 

 日本の銅像探偵団のTwitterでは、有名どころの銅像上記のように紹介している。青葉城址にある仙台の伊達政宗像は、その凛々しい姿で人を魅了し続けている。

 しかし、この伊達政宗騎馬像が2代目であることは、あまり知られていない。

 

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 上記書籍には、伊達政宗騎馬像について、次のような記述がある。

  •  初代の伊達政宗騎馬像が造られたのは、1935年(昭和10年)である。政宗没後300年を記念し、柴田町出身の彫刻家、小室達の手により製作され、天守台に設置された。
  •  しかし、第二次世界大戦の戦局悪化に伴い、金属類回収令が公布され、1944年(昭和19年)に、伊達政宗騎馬像も供出されてしまった。
  •  ところが、戦後、塩竃港の辺りに、胸から上の部分が放置されているところを見つけられた。下半身と馬の部分は失われていた。おそらく、政宗像を溶解しようとしたものの、さすがに顔の部分はおそれ多くて溶かすに忍びず、かといって目につくところには置けないため、人目につかないところに隠したのではないかと思われた。
  •  図らずも胸像となった政宗像は、最初は青葉神社に奉納されたが、1961年(昭和36年)より、仙台城三の丸跡に造られた仙台市博物館が所用することになった。現在は、博物館の庭に展示されている。
  •  1953年(昭和28年)、真っ白なセメント製の政宗像が造られ、天守の台座に飾られた。
  •  1962年(昭和37年)、保存されていた初代の鋳型を使い、再び、小室の手により伊達政宗騎馬像が復元され、現在の地に飾られるようになった。これに伴い、セメント像は、仙台に移る前に居城としていた岩出山城跡に移設された。

 

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 銅像を供出しないと弾薬もつくれないような状態でも戦争を続けようとした軍部の愚かさを、この伊達政宗胸像は示している。

 なお、今年の日本リハビリテーション医学会秋季学術集会は、11月2〜4日、仙台国際センターで行われるが、道路をはさんで向かい側に仙台市博物館がある。館内の展示物だけでなく、庭に飾られた伊達政宗胸像も拝観してほしい。さらにいうと、三の丸より本丸までの登城路は、山道だが、徒歩で天守台の伊達政宗騎馬像まで行くことができる近道である。学会で疲れた頭を休めるには、ちょうど良い散策コースとなっている。

 

 宮城「地理・地名・地図」の謎には、次のような記載もある。

  •  岩沼市竹駒神社の境内にある馬事博物館には、小室が1938年(昭和13年)に奉納した原寸の四分の三サイズの伊達政宗騎馬像の原型試作品が展示されている。宮城県には、合計4体の騎馬像がある。

 

 残念ながら、著者は間違っている。実は、もう1体、有名な伊達政宗騎馬像がある。

  

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 陸羽東線有備館駅前に、真っ白な伊達政宗騎馬像がある。これは、1989年(平成元年)から仙台駅ステンドグラス前に置かれていたものであり、2008年(平成20年)に現在地に移設された。

 仙台市民の待ち合わせ場所として非常に有名だった像である。渋谷のハチ公前と同じような意味で、伊達前で待ち合わせをするのが仙台市民の流儀だった。なお、仙台に不案内な人間に伊達政宗騎馬像で待ち合わせと伝えると、間違って青葉城址に行ってしまうこともあるので、当時は注意が必要だった。

 今となっては忘れさられたような存在だが、当時、仙台市で暮らしたことがある者にとっては、郷愁を感じる騎馬像である。岩出山城や旧有備館に寄るときには、この騎馬像も忘れずに見てほしい。