戒名料に依存する寺院の行く末

 朝日新聞の記事、「戒名料受け取れない」(2011年7月3日)より。なお、本記事はネットにはまだ公開されていない。

 東日本大震災で多くの命が失われた被災地の寺院で、戒名料の受け取りを自粛する動きが広がっている。家族や自宅を失った被災者に配慮した。一方で、自粛が当然のように受け止められては困る、との声もある。葬儀の件数がかつてない規模になり、お寺の慣習にも異変が起きている。


 自粛の動きがいくつか示された後、戒名料を通常通り受け取っている浄土真宗寺院の住職の発言が紹介されている。

 「地方の寺の多くは過疎化で檀家が減り、お布施収入も減って厳しい。葬儀の法名(戒名)料や読経料は貴重な収入源で、受け取り自粛が当たり前と檀家に思われるようになるとつらい」と話す。
 震災後の混乱が落ち着いた5月くらいからは、「友引」の日以外は、連日のように葬儀が続いているという。住職は「ここ3、4年分くらいの収入を2ヶ月で得た」と明かした。


 檀家制度は、江戸幕府の宗教統制の必要から生まれた制度である。宗門人別帳という戸籍制度に似た仕組みが作られ、民衆は必ずどこかの檀家になることを義務づけられた。寺院は、檀家の葬祭供養を独占的に行うことによって、経済的安定を得ることができた。この結果、仏教の世俗化が進み、宗教活動が疎かになる素地が生じた。
 第2次世界大戦後、都市への人口集中が進む中で地域コミュニティーが大きく変化をしている。地縁血縁のしがらみの中で冠婚葬祭を派手に行う地域がある一方で、家族葬を選び身内以外の参列をお断りする例も増加している。
 死生観を問われる今回の震災を目の当たりにして、自らの存続のことしか考えられない寺院は、高齢化や過疎化の進行の中で淘汰されるのではないかと推測する。葬式をビジネスとしかとらえない僧侶がいない方が、亡くなった方を静かに悼むことができるという思いがしてならない。