大災害時における地域ネットワークの力

 東日本大震災発生直後、当院関連の介護事業所が最初に行ったのは、利用者の安否確認だった。近隣は当日、遠方のところは翌日までにご自宅を訪問し、緊急対応が必要かどうかを見極めた。在宅酸素療法中の患者で、停電で困っていた患者に対しては、まず、在宅酸素濃縮器の会社に連絡するように指示した。しかし、その会社自身が津波で被災したことが分かると、すぐに病院に避難させる道を選んだ。ライフラインが途絶し、低体温になった重度障害者に関しては、避難目的入院の仲介をした。吸引が困難になった場合、電動ベッドがベッドアップしたまま下がらない場合などに対しては、具体的対応法を家族に対して指導した。福祉避難所を紹介し、緊急避難をさせることも行った。
 次に行ったのは、訪問系サービスの再開だった。ガソリン不足が明らかになった段階で、職員から自転車をかき集め、近くの利用者向けにサイクリング部隊を組織した。訪問リハビリテーションも震災直後より行った。


 最近、地域リハビリテーションの今後の方向性についての会議が開かれた。その中で、当院と同じような取組みをしている介護事業所が少なくないことが分かった。安否確認を直ちに行い、介護サービスを早期に再開していた。このことにより、要介護者の生活機能低下を防ぐことができていた。被災した職員家族を事業所に引き取り、家族の心配をすることなく、サービスが提供できるようにしたところもあった。
 ケアマネ、介護サービス事業者間に作り上げられた地域ネットワークが機能し、大災害に脅かされた要介護者に安心を与えていた。かかりつけ医も速やかに医療サービス再開を果たした。それぞれがお互いの役割を自覚し、自動的にシステムが動いた。急性期から回復期への医療連携も、立ち上がりこそ遅かったが、震災をきっかけとして連携が強まった。
 全国的な支援もすばやかった。赤十字国立病院機構、民医連、徳洲会など様々な組織が強力かつ継続的な支援を続けている。相互に補いながら、未曾有の事態に対応している。しかし、外部からの支援も、地域の実情がふまえた連携があったからこそ、有機的に機能できたと私は判断している。
 仙台市塩竈多賀城地域では、地域ネットワークが強力に構築されている。したがって、今後の復興もこのネットワークに依拠して自活して行えると予測している。問題は他の地域である。
 石巻医療圏は、被害が深刻なだけでなく、医療機関や介護事業所の被災も著しい。ネットワークが分断されている。急性期医療は、石巻赤十字病院が孤軍奮闘している状態である。回復期を担う医療機関介護施設の状況は全く伝わってこない。石巻から仙台圏に患者が搬送されている現状からすると、機能していない可能性が高い。
 気仙沼市南三陸町では、回復期を担う医療機関は全くなく、地域ネットワークも未整備である。亘理町や山元町も似たようなものである。
 急性期医療機関への短期的な支援から、地域ネットワークの再構築・新生を足がかりとした長期的な援助へと重点がう移ってきている。リハビリテーション医療の出番である。特に、被災者数も多いが、ネットワーク機能がもともとあった石巻医療圏の回復期リハビリテーション病棟、介護施設への支援が効果的ではないかと私は思っている。