浪分神社

 仙台市若林区に浪分神社という小さな神社がある。名前の由来について、次のような記事があった。

 東日本大震災で東北地方の太平洋岸に壊滅的な被害をもたらした巨大津波は、869(貞観(じょうがん)11)年の貞観津波に極めて似ている。


 東北大災害制御研究センターの今村文彦教授らは、仙台平野の地質調査の結果から、貞観タイプの津波の再来周期を約千年と推定。前回からすでに1100年が経過していることから、次の巨大津波は「いつ起きてもおかしくない」と、警鐘を鳴らしていた。


 巨大津波で多くの市民が亡くなった仙台市若林区の荒浜地区。そこから5キロほど内陸寄りに小さな神社がある。貞観津波の直後に建てられ、ここまで津波が到達したことを伝える意味で「浪分神社」と名付けられた。


 マグニチュード(M)9・0の超巨大地震津波は、確かに想定外の規模だ。しかし、研究者は東北地方の太平洋岸を襲った貞観津波の再来を予見し、一定のアナウンスもしていた。平安時代の人たちも、小さな神社を建てて津波被害を後世に伝えていた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110404/dst11040407390004-n1.htm


 一方、http://www.city.sendai.jp/wakabayashi/c/miryoku_terajinjya_shithigoukaiwai.htmlには、次のような記載がある。

 元来は元禄16年(1703)に霞目の八瀬川に建てられた稲荷社だったが、天保6年(1835)に現在地に移されて浪分神社という名になった。
 七郷一帯は標高が低く、昔から津波や洪水の被害が大きかった。慶長16年(1611)の慶長大津波では霞目まで水が押し寄せ、1700人を越える死者を出している。
 天保期に、慶長の大津波が二つに分かれて引いた場所に稲荷社を移し、津波よけの神社とした。この神社には、白馬にまたがった海神が大津波を南北に分けて鎮めたという伝説がある。


 おそらく、仙台市若林区のホームページの記載の方が正しいのだろう。地質調査の結果からしても、貞観11年(869年)、慶長16年(1611年)と、内陸深くまで津波が押し寄せて来た形跡がある。
 浪分神社の位置は自衛隊霞目飛行場の東隣にある。


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 この付近の被害状況は、» 仙台東部道路が事実上の防波堤に…Life Sketch Square 193tree blogに詳しい。地震後1週間経った時の風景である。仙台東部道路が防波堤にならなければ、浪分神社付近まで津波が到達したことは想像に難くない。
 残念なことに、神社の名前に託した先人の警告は私たちには届かなかった。地震多発国日本には、東海・東南海・南海地震など、巨大地震が起こっておかしくない場所がいくつもある。過去の歴史をしっかりと見据え、防災意識を高めていくことが必要と思えてならない。