ナイチンゲールが知らなかった環境整備

 震災直後、様々な患者が病院に押し寄せた。停電となり在宅酸素療法が困難になった方、自宅が損壊し住むことができなくなった方、津波で家族の行方が分からなくなった方など、避難所で対応が難しい方々のためにリハビリテーション室を開放した。
 簡易ベッドをパラマウント社から提供してもらい、下の写真のように配置した。



 酸素濃縮器は、テイジンに提供をお願いした。


 全国から支援に来ていただいた看護師さんたちからは、ナイチンゲールになった気分、と言われた。確かにクリミア戦争時の野戦病院のような雰囲気がある。
 しかし、実際に運用を始めてみると重大な問題があることが分かった。ベッドが高いため足が届かない。ベッド柵が真ん中にあるため起き上がりが困難である。経管栄養を行おうとしてもベッドアップができない。自宅ではほとんど手がかからなかった高齢者たちの介護度が上昇してしまった。急いで病院中から介護用ベッドを何とかかき集めた。ベッド脇の空間を広げ、車椅子が使用できるようにした。効果は抜群で利用者の方々の手はほとんどかからなくなった。


 災害時救急と名付けた空間は、支援の看護師と通所の職員が担当した。協力して1日のスケジュールを組み、利用者たちの生活機能低下の予防を図った。通所時と同じように、レクリエーションを提供しているところである。



 野戦病院に入っていたのは、元々は元気な兵士である。一方、避難暮らしをしていて最も問題となるのは、要介護高齢者である。クリミア戦争時には必要なかったかもしれないが、東日本大震災時には生活機能低下のための対策が必須である。食料や燃料の確保、衛生的な環境の整備は19世紀でも必要だった。それに対し、要介護高齢者の生活機能低下を防ぐ課題は21世紀の日本の課題である。リハビリテーション専門職の働き場所はここにあると私は考えている。