イースター島モアイ像は地球への警告

 イースター島は、モアイ像で名高い。石像は最大のもので高さ20メートルを超え、重量は最高270トンに及ぶ。東太平洋に浮かぶ孤島になぜこのような巨大像があるのか、様々な論議を呼んできた。宇宙人が作ったという荒唐無稽な説もある。
 「銃・病原菌・鉄」で人類発展の地域格差の原因を追究したジャレド・ダイヤモンド氏が、次作「文明崩壊」の一章を使い、イースター島の謎を取り上げている。

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)


 概略は次のような内容である。

  • 巨石像は、ポリネシア人が彫りやすい素材である凝灰岩から作成した。ラノ・ララクという名の採石場に完成前の石像が放置されている。
  • イースター島は、西暦900年頃にポリネシア人が入植した。面積180km2という小さな島(石垣島宮古島と同程度)に、最盛期には1万5千人以上の住民が住んでいたと推定されている。
  • 島は12の領地に区分され、さらに、その頂点に最高首長が君臨していた。
  • 石像は、敵対する首長同士が競い合う形で作成された。
  • モアイ像の運搬および設置は、人力で行われた。その際、丸太や縄の作成に大量の木材を要した。
  • 現在のイースター島には大きな樹木が全くない。しかし、沼地の堆積物に含まれる花粉粒の調査で、かつては亜熱帯雨林に覆われていたことがわかった。
  • 薪の使用、火葬の習慣、畑造成、カヌーの作成などと並んで、石像の運搬や設置により、森林破壊が進んだ。
  • 食糧資源も、乱獲の影響で激減した。
  • 森林破壊がほぼ完成した17世紀には、内乱が頻発し、イースター島社会は崩壊した。石像は、対立する勢力により倒し合いが進んだ。
  • ヨーロッパ人がイースター島を発見した時点で減少していた人口は、持ち込まれた天然痘の流行や奴隷狩りにより激減し、19世紀後半にはわずか100名あまりとなってしまった。
  • イースター島の森林破壊が極端に進んだ理由として、乾燥し樹木の成長が遅いなどという環境の脆弱性があげられる。
  • 孤立状態にあったがゆえに、資源の過剰開発によってみずから破滅した社会として、イースター島は地球の前途に立ちはだかるメタファーと映る。


 7月12日、イースター島皆既日食が観測された*1。島は、謎めいた巨像に引き付けられた観光客でにぎわっている。しかし、モアイ像に秘められた歴史を考える時、単なる観光資源ではなく、地球の環境問題について警告を発している遺跡であることを忘れてはいけない。