日本は小さすぎる福祉国家、低負担・低福祉国家

 昨日に引き続き、経済財政諮問会議 第25回議事要旨(2008年11月20日)より、吉川洋社会保障国民会議座長の発言の概要を紹介する。なお、「中福祉・中負担」の社会保障の確立による安心強化に向けては、有識者議員提出資料として、岩田一政(内閣府経済社会総合研究所長)、張富士夫トヨタ自動車株式会社取締役会長)、三村明夫(新日本製鐵株式会社代表取締役会長)、吉川洋東京大学大学院経済学研究科教授)の4氏が連名で作成したものである。


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 吉川洋議員は、「高福祉・高負担」「中福祉・中負担」「低福祉・低負担」という言葉について、次のように説明する。

  • 「高福祉・高負担」=スウェーデンを筆頭とするような大陸ヨーロッパ。
  • 「中福祉・中負担」=日本の目指すところ。
  • 「低福祉・低負担」=アメリカ。とりわけ公的医療保険がスリム。


 引き続き、日本の現状を次のように説明する。

 日本型の「中福祉・中負担」の社会保障制度について、安定財源も含め基礎を堅固にすることが重要であるが、1番目に書いてあるように「中福祉・中負担」は残念ながら満足な状態にない。「危機に立つ『中福祉・中負担』」という表現を使わせていただいた。
 「中福祉」にほころびが出てきていることについては、例えば象徴的な事例は医療の分野で、最近でも非常に不幸な事故が起きていることは改めて言うまでもない。したがって、このほころびをやはり縫わなければいけない。それが後ほど御説明させていただく社会保障国民会議で、「機能強化」という言葉で表現したことである。
 「中負担」にも問題があるということは、この会議の議員の皆さん方には改めて説明するまでもないことであり、日本は「中福祉・低負担」の状況になっているという表現がしばしば使われている。
 具体的には後ろに参考の図表が付いているが、4ページの参考1の左側に、公費負担の3分の1に当たる部分が公債に依存している状況にある。すなわち1ページに戻ると、(1)にあるとおり「公費の3分の1が将来世代への負担先送り(『ツケ回し』)」になっている。
 また、高齢化の進展等の中で、毎年、社会保障関連で1兆円くらいずつ公費負担が増大してきた。これもまた、もう一つの「ツケ回し」、要するに「中福祉・中負担」の負担の方で「低負担」状況になっていて、安定財源を得られていないという問題がある。
 2ページ目。それでは、何をなすべきか。「2.対応の方向」について。団塊世代の医療・介護費用が急激に増大していく2010年代半ばまでに、これから説明するような考え方に沿って「安心の強化」を図っていくことを提案する。
 (1) は負担の方で、これをどのような財源を考えるかだが、理論的には保険料、それから、自己負担も勿論考えられるが、まず第1に保険料、いわゆる「共助」については、国際比較をした場合にも既に「中負担」になっている。また、既に今後、年金等保険料の引き上げが見込まれている。
 それから、利用者の自己負担の拡大は、現在の社会保障制度の質の低下、所得再分配機能の弱体化を招きかねない。これでは「中福祉」が「低福祉」の方に行ってしまうことになるわけだから、これは「中福祉・中負担」の理念からしても進められない。したがって、結論的には、国民全体の広く薄い“割り勘”、すなわち、税金による公費、公助が安定的に社会保障を賄うことが必要である。
「(2)安定財源の確保の考え方」について。「中福祉・低負担」の現状を改善し、負担増への国民理解を得ていくには“value for money”の考えに立って、制度の質の向上と安定財源の確保を、同時に進めていくことが重要である。
 高齢化の下で「中福祉」を維持するべく、国民ニーズに沿った機能強化やいわゆる「自然増分」等について具体的な内容と必要公費見通しを示し「それなら“割り勘”を負担してよい」という納得、国民の理解が得られるよう、合意を形成すべきである。


 この中福祉低負担という言葉に関して、権丈善一氏が反論している。社会保障国民会議(第9回)議事要旨(2008年11月4日)より。

権丈委員 今、高木委員のほうから低負担・中福祉という話がされまして、皆さんも、よく低負担・中福祉とおっしゃっているんですけれども、この国は中福祉まで行っていません。負担の側面で言いますと、3週間くらい前の10月15日にOECDが2006年の租税社会保障負担のGDPに占める割合を報告したんですね。普通は、分母が国民所得の場合に国民負担率と呼んでいるのですが、分母がGDPでも国民負担率と考えていいです。この日本の国民負担率が2006年にはアメリカよりも低くなってしまい、OECD30カ国で日本より負担率が小さな国は、韓国、トルコ、メキシコの3カ国だけになってしまいました。要するに、日本は極端に低い負担で、世界一の高齢化水準にある今の日本の社会保障を支えているわけです。あるべき医療・介護、あるべき少子化対策ということを考えながら、給付を増やしていかないと、まともな中福祉国家にはなりません。今後、社会保障の機能強化を図って中福祉になるためには、純粋に増えていく部分があるんですね。だから、今の状況を低負担・中福祉と言って、これを中負担・中福祉にしましょうということになると、赤字国債の部分を減らすためだけに負担を増やしていくと誤解される、つまり負担は増えてもネットでの社会保障でのリターンがないのかと受けとめられる可能性もありますので、非常にもったいないと思います。
 北欧を高福祉、フランス、ドイツなど中央あたりを中福祉とすると、この国は中福祉まで遠く及んでいません。と同時に、先ほど樋口委員がおっしゃったように、国民の高齢化率という社会保障のニーズを示す指標を考えますと、日本の高齢化水準は現在世界で一番なのに、日本よりもかなり若い国であるフランス、ドイツなどよりもはるかに低い福祉の水準でしかない。ゆえに、日本は小さすぎる福祉国家、低負担・低福祉国家と呼んで良いと思います。だから、医療も介護も崩壊しているのだし、少子化対策は手つかずのまま何十年も放置されてきたのです。この低負担・低福祉国家を中負担・中福祉国家にするということは、負担が増えるのみならず、しっかりとした社会保障の確立も国民に約束できる話になります。そのあたりをアピールしないのは実にもったいないということを、最後に述べさせていただきます。


 両者とも、日本の社会保障は低負担という現状にあり、社会保障の安定した財源確保が必要という点では一致している。
 吉川氏は、さらに将来世代への負担先送り(『ツケ回し』)」を考えると、現在の世代は低負担になっていると主張しており、安定した財源として、国民全体の広く薄い“割り勘”=消費税を当てることを主張している。
 一方、権丈氏は、消費税だけではなく、社会保険料も財源とすべきであることを持論として主張している。中でも国際的に負担率が低い健康保険使用者負担率を上げるべきと各所で話している。「赤字国債の部分を減らすためだけに負担を増やしていくと誤解される、つまり負担は増えてもネットでの社会保障でのリターンがないのかと受けとめられる可能性」が問題であることを強調している。


 税および社会保険料負担を増やさない限り、このままでは社会保障制度が破綻する。しかし、医療費窓口負担や介護保険料利用料の高さ、年金制度への不信などの問題が山積しており、社会保障の強化というリターンが戻ってくるという確証が得られない限り、負担増に関しての合意は得られない。現状の政治不信が続く限り、「低負担・低福祉」の状態に陥る可能性が高いように思える。