水の中では自由になれる
開会式で南アフリカの旗手を務めた義足のスイマー、ナタリー・デュトイトが遠泳競技で16位に入った。日刊スポーツ、水の中なら、忘れられるより。
水の中なら、忘れられる
2008年8月21日
OW義足スイマー ナタリー・デュトイト(24)
彼女が水を好きな理由。それは、水の中なら自分の不幸を忘れられるからだ。10キロを泳ぎ切り、念願の五輪初レースを終えたデュトイトは、右足をやさしくストレッチした。「最高のレースができた。本当にうれしい」。スタッフが何かを抱え、歩み寄ってくる。デュトイトの義足だった。
今大会から正式採用された、水泳のオープンウオーター(OW)。新種目以上に注目されたのが、義足スイマーのデュトイトだった。体をよろめかせながら静かに飛び込むと、必死で上位に食い付いた。豪快なキックで進む他の選手とは違い、足からはあまりしぶきが上がらない。体のバランスを取りながらの右足キックと、両腕のかきだけが頼りだ。結果は16位。一気にペースを上げたライバルに置いて行かれたが、それでも9人に先着した。
14歳で競泳の代表入りを果たし、将来を嘱望された。人生は01年に暗転する。朝練を終え、バイクで学校に向かう途中で事故に遭い、左ひざから下を失った。五輪の夢は、断たれたかに思えた。しかし、泳ぎたい衝動は、再び彼女をプールへと駆り立てた。「びっくりした。まだ足があるみたいに感じた」。ふさぎ込んでいた自分の居場所を、再発見した。事故から6カ月目のことだった。
04年のアテネ・パラリンピックでは金メダル5つ、銀メダル1つを獲得した。「どうしても五輪に出たい」という思いが、再びわき上がった。片足だと不利になるプール種目から、外海を泳ぐOWに転向。「今までにないくらい練習した」。選考会をパスし、出場権を獲得した。
今大会は開会式で旗手を務めた。「聖火台に火が付いたとき、涙が出てきた」。涙もろいデュトイトは、ボロボロ泣いた。彼女が水を好きな理由は、もう1つある。泣いても、だれにも気付かれないからだ。
◆オープンウオータースイミング プールで行われる競泳とは違って海、川、湖など自然の水中で行われる水泳競技。90年に正式種目として国際水泳連盟に認可され、五輪では今大会から正式種目になった。今回は、男女とも10キロの1種目ずつが採用された。
ナタリー・デュトイト
1984年1月29日、南アフリカ・ケープタウン生まれ。幼少から競泳を始め、同国代表入りを果たす。01年に事故で左脚を切断しながらも競技を続け、04年アテネ・パラリンピックには競泳で出場。自由形3冠を含む金メダル5つ、銀メダル1つを獲得した。175センチ、72キロ。
以前、両側義足のランナー、オスカー・ピストリウスの話題を本ブログで取り上げた。
オスカー・ピストリウスの場合は、義足のエネルギー蓄積型足部が不正な推進力をもたらしていると、国際陸連(IAAF)が認定したことが話題となった。その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定の結果、北京五輪に挑戦することが認められたが、残念ながら選考会で落ちてしまった。
一方、ナタリー・デュトイトの場合、泳ぐ時には義足を装着していない。両上肢と右下肢のみを使用できない不利な条件で五輪選考会をクリアした。本番でも、25選手中16位という結果を出した。
地球に住むあらゆる生物は重力に縛られて生きている。普段は気づかないが、ひとたび運動機能が低下すると、その束縛の強さを思い知らされる。しかし、いったん水の中に入ると、浮力の手助けを借り、重力から自由になることができる。脳性麻痺や脊髄損傷などのため重度四肢麻痺があっても、水になじむことができれば、陸の上よりずっと自由に動くことができる(参照:障害者ダイビング)。障害を持っていても、水の中では自由になれることを、ナタリー・デュトイトは五輪という大舞台で示してくれた。
ナタリー・デュトイトやオスカー・ピストリウスの活躍は、人間の可能性には限りがないことを示している。夢を追い続ける2人の姿に勇気をもらった。