ロハス・メディカル「リハビリテーションその真実」

 ロハス・メディカルというフリーペーパーがある。「毎月20日発行、首都圏の基幹病院に配置しております。」と宣伝しているので、少なくない患者が目にしていると予想する。
 2008年6月号に、「リハビリテーションその真実」という記事が掲載された。診療報酬改定の荒波にもまれているリハビリテーション医療について、分かりやすく説明がされている。成果主義について触れられている部分を引用する。

 ちょっと、たとえ話をします。リハビリを受ける患者さんが、山道から何らかの事情で斜面の下へ滑り落ちてしまった方とすると、リハビリというのは、滑り落ちた方に対して垂らすロープにたとえられます。落ちた方はロープに掴まって体を支え、それを伝って元の山道まで這い上がろうとするわけです。
 這い上がれるかどうかは、ロープの性能で決まるでしょうか?そればかりではありませんね。どのくらい下まで落ちてしまったか(重症度に相当します)によって違いますし、足場が良いか(障害の部位)によっても違いますし、その人自身の体力(回復力)によっても違うでしょう。
 もし多くの人が這い上がれたロープの持ち主には褒美をやろう(入院費アップ)、這い上がれない人の多かったロープの持ち主からはロープを取り上げよう(入院費カット。カツカツの病院は潰れます)と言ったら、這い上がりやすそうな人を選んでロープを垂らすとか、這い上がれなさそうな人には垂らさない、そんな現象が起きるとは考えられないでしょうか。今回の改定は、そういうことです。
 這い上がれない人にロープの必要がないなら構わないのですが、ロープの支えがなかったらズルズル落ち続ける人だって、きっといますよね。


(中略)


 特集冒頭の問いに戻ります。リハビリは、正当な医療行為でしょうか。そうであるなら、今回の診療報酬改定は不当です。そうでないなら、この扱いは当然とも言えます。
 どうかこの問いを他人任せにしないでください。本来これを決めるのは受益者であり費用負担者であり、有権者である私たちです。前回総選挙で皆さんの投票した結果が、現在のリハビリ縮小につながっているのです。


 リハビリテーション医療=ロープというたとえはわかりやすい。障害を持つことは、奈落の底に落ちたような思いを抱かせる。人間としての尊厳を取り戻すために垂らされたロープは、希望と安心につながる大事な命綱である。
 リハビリテーション医療の担い手は着実に育っている。地域格差や技量の違いは残っているが、その気になれば、必要とする患者に確実にサービスを提供できる時代が近づいていた。災害時医療のように、トリアージ(患者選別)をする理由は全くなかった。
 しかし、2006年以降連続して行われた診療報酬改定は、落ちた者はそのまま放置して良いといわんばかりの非情なものとなった。たとえわずかでも回復の可能性があるならば、医療者としては手を差し伸べたいと考える。だが、医療機関の経営を考えば、良くなる可能性が低く自宅退院もできない患者は、回復期リハビリテーション病棟の対象からはずさざるをえなくなった。リハビリテーションの理念は傷つき、ロープの担い手であるリハビリテーション専門職の誇りは砕かれた。厚労省は、質の評価のために今回の改定を実施したと言う。だが、経営主義のまがい物のリハビリテーション医療がはびこるだけになったのが現実ではないか。
 社会保障費削減の嵐の中で、医療ばかりでなく介護分野も崩壊しかけている。いざ、自分が助けを必要とした時に、命綱となる制度がなくなっているかもしれないという現実に、どのくらいの国民が気づいているのだろう。