医療は分かち合いの原理で

 7月23日のエントリー「トリクル・ダウン理論」の続き。日本医師会主催のシンポジウム(2008年3月7日)、『平成19年度医療政策シンポジウム 脱「格差社会」と医療のあり方』の基調講演、脱「格差社会」戦略と医療のあり方東京大学大学院経済学研究科教授、神野直彦氏)をご紹介する。本日は、講演の後半部分について取り上げる。


関連エントリー
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「プロクラテスのベッド」
医療システム再生に関する経済学的思想基盤
ジニ係数と相対的貧困率

# イースタリンの逆説

  • 一定水準を超えてしまうと、豊かになるということと幸福になるということの間に相関関係がなくなる。
    • 例) 勝ち組になるということは、人間として家族と一緒にいる時間、幸せになる時間というのを大幅に犠牲にする。


# ファウンテン理論

  • 大地から水が吹き出るような形で下から吹き上がらせるような政策が必要。⇔ トリクル・ダウン効果。


# 再分配のパラドックス

  • 垂直的再分配: 貧しい人々に限定してお金をあげる。日本でいえば生活保護のようなもの。豊かな人々には重い税金をかける。
  • 水平的再分配: 同じ所得だが、所得を失うようなリスクに陥ったときに、そのリスクを補填する。医療、保育、養老サービスなど。
  • コルピという学者は、垂直的再分配では、格差が拡大して貧しい人々が増えることを証明した。


表 各国の社会保障支出(1992年のGDP比)とジニ係数相対的貧困率(一部のみ抜粋)

社会的扶助支出 ジニ係数 相対的貧困率
アメリ  3.7  0.361  16.7
イギリス  4.1  0.321  10.9
スウェーデン  1.5  0.211  3.7
デンマーク  1.4  0.213  3.8
ドイツ  2.0  0.280  9.1
フランス  2.0  0.278  7.5
日本  0.3  0.295  13.7


# 対価原則、等価原則

  • 対価原則: お金を出すと、その対価としてサービスが戻ってくる。
  • 等価原則: 全体の負担と全体の給付がイコールだが、個々のサービスは1対1ではない。医療は等価原則で行うべき。


# 社会保険原理、民間保険原理

  • 民間保険原理: 一見、等価原則のように見える。しかし、リスクに応じて負担させているため、市場原理に乗る。介護保険制度や後期高齢者医療制度もリスクの高い人だけで運用している。これは分かち合いの原理ではない。
  • 社会保険原理: 分かち合いの原理で行うべきもの。


 神野直彦氏の講演を、できる限り平易な言葉を使い私なりにまとめると、次のようになる。


 市場原理で行うべき分野とそうではない領域を明確に区別することが、格差社会を脱出する鍵を握る。医療とは「分かち合い原理」で運用する代表的分野であり、そのためにバランスをとりながら運用していくことが求められている。
 豊かなものをより豊かにしていく政策をすると、豊かなもののおこぼれがしたたり落ちていって、自然に貧しい人々の所得が上がってくるという「トリクル・ダウン理論」は、富=権力となっている現代社会では通用しない。大地から水が吹き出るような形で下から吹き上がらせるようなファウンテン効果を求める政策を実施すべきである。その際、生活保護のような垂直的再分配よりは、医療など所得を失うようなリスクに陥ったときにそのリスクを補填する水平的再分配が望ましい。このような施策をとっているスウェーデンデンマークは、格差の指標であるジニ係数相対的貧困率とも低い。
 医療は、等価原則、社会保険原理で行うことが望ましい。全体の負担と全体の給付がイコールだが、個々のサービスは1対1ではなく、「分かち合い原理」で行うべきものである。


 制度派経済学者の面目躍如というべき講演である。問題は、「分かち合い原理」で財源を調達しようとする時に、誰が負担をするかということである。
 この間、二木立氏や権丈善一氏は、社会保険原理で行うことを主張している。しかし、健康保険料率は労使折半であることが多く、若年の低所得者層にとっては逆進性が強くなる。各種アンケート調査をみても、若年ほど負担増を伴う給付拡大に対する反対が強い。
 「分かち合い原理」で行う場合、応能負担原則を貫くことが必要となる。日本では、他国と比べて法人税は多いが、使用者の社会保険料負担は低い。本シンポジウムでも、パネルディスカッション 脱「格差社会」と医療のあり方で財源問題について論議がされている。企業の社会保険料負担増大が可能かどうかが財源問題の鍵を握ることになる。もう少し調べた上で、別の機会にこの問題をとりあげたい。