「トリクル・ダウン理論」

 昨日に引き続き、日本医師会主催のシンポジウム(2008年3月7日)、『平成19年度医療政策シンポジウム 脱「格差社会」と医療のあり方』の基調講演、脱「格差社会」戦略と医療のあり方東京大学大学院経済学研究科教授、神野直彦氏)をご紹介する。
 本日は、「トリクル・ダウン理論」について取り上げる。

【「トリクル・ダウン理論」が通用しない現代社会】*1


 「トリクル・ダウン」とは、豊かなものをより豊かにしていく政策をすると、豊かなもののおこぼれがしたたり落ちていって、自然に貧しい人々の所得が上がってくるという理論である。*2
 トリクル・ダウン理論は、アダム・スミスリカードまで遡る。人間の欲望には限界があって、豊かな所有者がより豊かになれば、自分の使用人の報酬などを引き上げるだろうと、アダム・スミスリカードは言っている。
 しかし、このトリクル・ダウン理論は、現在では通用しない。なぜなら、アダム・スミスリカードは、富が使用される、いずれ消費されるということを前提としていた。しかし、現在の社会は、富が権力を握る手段になっている。人を動かすために富を持つようになる。つまり、使うための目的ではないため、トリクル・ダウンしない。


 神野直彦氏の講演「トリクル・ダウン理論が成り立たない」が動画になっている。富が権力を握る手段になると、なぜトリクル・ダウン理論が通用しなくなるかについて、詳細に述べている。*3


 富が権力を握る例として、大英帝国の事例を挙げている。19世紀の大英帝国では、戦争の資金調達のために国債を発行した。債務(借金)を金融界(シティ)に握られてしまったため、自由党(現在の労働党)のグラッドストーンは、郵便貯金を創設し、すべての国民・労働者に国債を持たせることにした。このため、金融界・マーケットが口を出させなくなった。
 トリクル・ダウンしない例として、東京内の格差をあげている。1990年代になって、グローバリゼーションが進行した。しかし、一人勝ちするようになった東京の中で格差が進行するという皮肉な事態が生じた。東京における生活保護率が全国データと比べ上昇するようになった。2005年度をみると、全国の生活保護率が11.55%なのに対し、東京は15.21%になっている。企業に生活機能がなくなったため、それまでは企業の労働住宅(独身寮・住込み・飯場)に住んでいた労働者がホームレスになった。
 人を支配するための富をかき集めた例として、ライブドア事件にも言及している。この時、ホリエモンは、Tシャツしか着ていなかった。欲望を満たすために富を集めたのではなく、権力の手段として、金を集めた。このような場合にも、富はトリクルダウンしない。過剰な豊かさが生じるだけである。


 グローバリゼーションの進行の中で、多国籍企業の競争が激化している。世界をまたにかけて活動している企業の力の源泉はマネーである。トヨタの営業利益は2兆円を超えた。優良企業であること自体が政界や経済界の中での発言力を増す源泉となっている。一方、トヨタ関連企業で働くものの中で非正規労働者が増えている。低賃金不安定雇用となっている労働者のところまでトヨタが生み出した富はトリクル・ダウンしない。というより、雇用形態を変更することによって生み出された利潤が企業の利益となっている。
 富=権力となっている現代社会では、トリクル・ダウン理論は通用しない。「上げ潮政策」などを唱えている政治家や経済学者がいるが、トリクル・ダウン理論の変形でしかない。企業が栄えれば国民が潤うなどという詐術は成り立たないことに、格差社会という現実を突きつけられた者たちが気づき始めている。

*1:原文では「トリクル・ダウン」議論と表現されているが、図表3ではトリクル・ダウン理論となっているため、こちらを使用する。

*2:Wikipediaでは、トリクルダウン理論は「おこぼれ経済」とも通称される、と記載されている

*3:なお、講演レジュメは、社民党official web、日本の社会民主主義の未来の中にある。