医療システム再生に関する経済学的思想基盤

 日本医師会主催のシンポジウム(2008年3月7日)、『平成19年度医療政策シンポジウム 脱「格差社会」と医療のあり方』が行われた。慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授、田中滋氏の講演、格差社会と医療システムの一部について内容をまとめた。

市場経済をすべてに当てはめるか、部分的に当てはめるか】


# 経済学者の思想基盤
 3つの考え方を簡単に説明。

  • 新古典派: 資源配分について市場経済の役割を重くみる、経済学の主流派。
  • 新自由主義(「市場原理主義」): ツールを超えて市場経済を思想として信奉。資源配分のみならず成果配分に関しても公的介入をミニマム化しようとする。「市場経済化こそ進歩、利益追求こそ人間行動の根本原理」という性格の強い思想。小泉改革を主導した人々の考え方。社会保障の機能を救貧のセイフティネットに退化させようとする思想。代表者はミルトン・フリードマン
  • 新制度学派: 市場経済の役割は尊重しつつも、制度や社会規範をも同じく重要視する。国・地方・集団の歴史や文化が意味をもつ政策を説く人が珍しくない。代表者はガルブレイス


 いずれの派も市場経済の有用性を認めている。市場経済の働きや公共部門に対する分析手法に大きな違いは見られない。一般財の扱いについては違いはさほど大きくない。市場での取り扱いがほとんど不可能な国防などの公共財を政府が担当することについても経済学者間で意見の相違はほとんどない。
 相違点は次の部分である。医療や教育を含めた社会のさまざまな広い分野において市場経済をもっとも有効な資源配分ツールと考えるか。社会の安寧と発展のために、必ずしも市場経済学的資源配分がそぐわない私的財があるか。あるとすれば公益性にふさわしい分配の仕組みをどうするか。
 第一と第二の考え方の違いは、労働の分配や経済格差拡大に対する意見に表れる。また、医療・教育・介護・保育などに関して資源の配分を市場経済に委ねてよいかどうかが第三の考え方を際立たせる。


 経済学の潮流に関しては全くの門外漢である者にとって、田中滋氏の分類は大変分かりやすい。本シンポジウムの基調講演を述べた神野直彦氏も医療を市場経済に委ねることに批判的立場をとっている。本ブログでもたびたび取り上げている二木立氏や権丈善一氏も制度経済学派に属することになるのだろう。一方、八代尚宏氏など、新自由主義の立場で医療を市場経済に委ねることを主張している経済学者も少なくない。


 新自由主義の跳梁が、日本に格差社会をもたらした元凶である。しかし、市場原理主義者は、「市場経済化こそ進歩、利益追求こそ人間行動の根本原理」と考えるため、医療や教育を受けられなくなる人がいても気にせず、ワーキングプアという階級が生じても当然のことと考える。社会を人体に例えるとすれば、新自由主義とは、制御がはずれ生体を死に至らしめる悪性腫瘍のような存在である。できる限り早期に手を打たないと、日本はどんどん悪い方向に向かって行く。


 日本の行く末を考えるとき、財政問題を抜きにしては語れない。政治家、マスコミ、そして、経済学者は様々なデータを出して、「財源がないからできない。」とまるめこもうとする。しかし、医療、介護、教育・保育は公共財であることを認識すべきである。市場経済の有用性は認めながら、市場経済に委ねてはいけない分野があることを認識し、適切な規制(ルール)のもとに、財源調達をはかるという考え方が、自分としては一番納得できる。その意味で、医療システム再生をめざす経済学的思想基盤は新制度主義しかないのではないかという感じている。