サンデー毎日のキャンペーン

 サンデー毎日が、「社会保障制度が崩壊する」というキャンペーンを展開している。見出しを列挙する。


■徹底追及第5弾(4月27日号)
 本誌指摘通り「無保険者」大量発生
 怒れ!「4・15ショック」
後期高齢者医療制度」を即刻廃止せよ!
 来年4月 70〜74歳の窓口負担は倍になる


■[徹底追及第4弾 社会保障制度が崩壊する](4月20日号)
名前でごまかすな!「長寿医療制度」は史上最悪の国家犯罪だ


■徹底追及 第3弾「社会保障制度が崩壊する」(4月13日号)
政管健保」750億円「ツケ回し」の愚


■年金5000万件ギブアップでも 「天引き地獄」の非道が始まる(4月6日号)


■「後期高齢者医療」開始(3月30日号)
 年金生活者夫婦の医療費は倍増か


 4月27日号のトップ記事は、中吊り広告を見ても分かるように、後期高齢者医療制度である。「社会保障制度が崩壊する」というキャンペーンの中心課題となっている。


 サンデー毎日で検索してみると、誌上で連載されている岩見隆夫氏のコラムサンデー時評:75歳以上を「隔離」する狙いは何だがヒットした。気になる一文があったので、引用する。

 恐ろしい指摘も聞いた。年齢別人口構成表を見れば一目瞭然だが、頭部にあたる〈後期〉の部分が膨らんで頭でっかちになっている。これを支える胴体や手足は少子化のせいで貧弱だ。


「そこで、医療会計と同時に社会保険庁を通じて『年金会計』をも所管する厚労省は、医療制度の改革という方法を用いて、頭部にあたる後期高齢者の年金受給人口を人為的に減らすほうが手っ取り早い、と考えたのかもしれない」


 という一部の医療専門家による裏読みである。医療財政でなく、実は年金財政の健全化が真の狙いだった。


 そんな国家犯罪みたいなことは信じたくないし、あってはならない。だが、隔離政策による〈後期〉の冷遇は歴然としている。


〈後期〉の多くは五十年以上も健康保険料を払い続け、その割に健常者として保険給付を受けることが少なく、保険制度に貢献した人たちである。しかも、戦後の日本を経済大国に押し上げた功労者だ。それを、感謝どころか、厄介者扱いするのでは、三等国以下になる。


 サンデー毎日の元編集長の牧太郎氏のブログもヒットした。エッ、僕は65歳から後期高齢者?、より一部を引用する。ちなみに、牧太郎氏(63歳)は脳卒中後遺症で一級の身障手帳を持っている。

 ここで、僕が後期高齢者医療制度に入りたくない理由(この制度の矛盾)を列挙しておく。


(1)現在、被用者保険の扶養家族として負担ゼロの人も保険料を徴収される。75歳以上は全員、保険料を死ぬまで払わなくてはならない(もちろん、年金制度が崩壊したらどうなるのか、説明はない) 
(2) 後期高齢者が増え、医療費が増えると、保険料が自動的に値上げされる 
(3)天引きが出来ない人が1年間保険料を滞納すると保険証が取り上げられる。代りに「資格証明書」が発行され、窓口で10割負担になる。(これは憲法違反の疑いあり) 
(4)保険料は広域連合ごとに条例で定める。特定財源を持たない広域連合ではきゅうくつな財政で、独自の保険料減免が困難になる。(これも憲法違反の疑いに? 繋がりかねない)


 まだまだ、問題点はある。が僕が心底、心配するのは「かかりつけ医」である。後期高齢者はあらかじめ登録した「かかりつけ医」で受診しなくてはならない。患者の主病を決めて、その専門医を「かかりつけ医」にする。その結果、かかりつけ医以外の受診が制限される。年寄りは、いたるところに「病気」があるのに‥‥主病って何だ! 多分、受診回数も一定の制限を設けることにもなる。国家財政のために、医師にかかってはいけない、と言われたようなものだ。


 簡単に言えば「75歳以上は死ね!」である。(障害者は65歳で死ね!ということか)


 いづれ、誰でも後期高齢者になる。いづれ、姥捨て山を見る。


 気概のあるマスコミ人が、サンデー毎日関係者には多いようだ。


 週刊誌関係者に注文がある。いくら良いことが書いてあっても記事そのものはネット上では検索できず、紹介もできない。もったいない。おそらく、インターネットに載せると、発行部数が減少することを危惧しているのだろう。しかし、ネット社会においては、検索してヒットしない記事はないに等しい。
 実は、週刊誌はほとんど読まない。最近は、RSSリーダーで興味ある記事を確認し、新聞で世の中の全体の動きを捉える、という生活をしている。そこに、週刊誌が入る余地はあまりない。インターネットが普及した後の世代は、新聞さえも読まないという。
 扇情的な中吊り広告は逆効果である。嫌悪感を増すだけである。記事の一部でも良いので、配信をして欲しい。良い中身なら、ブログでの紹介も増える。そのことが、宣伝となり、発行部数を増やす方向に向かうのではないだろうか。