日本におけるリハビリテーションの歴史的経過(1999年まで)

 第二次世界大戦までの経過については、本ブログエントリー日本におけるリハビリテーションの歩み、書評「シリーズ福祉に生きる8 高木憲次」をご参考にしていただきたい。


 高齢者リハビリテーション研究会「高齢者リハビリテーションのあるべき方向」にある「高齢者リハビリテーションの現状」の部分を土台に、1940年代から1999年までの歴史的経過を振り返る。引用部分は「高齢者リハビリテーションのあるべき方向」の記述である。

(1940年代〜50年代 医療における取組)
○  わが国のリハビリテーションは、1945(昭和20)年までは、ポリオ(急性灰白髄炎)の後遺症などの肢体不自由児や、第二次世界大戦等で負傷した傷痍軍人を主たる対象としていた。戦後は、米国から新しいリハビリテーションの思想や技術も導入され、その対象は障害者一般に拡大され、専門的に深く取り組まれるようになった。


○  高齢者に対してリハビリテーションが行われることになった歴史は比較的新しく、1960年代初頭に一部の医療機関脳卒中患者に対して実施され、その取組はリハビリテーション関係学会・協会や医師会などを通じて次第に全国に広がっていった。

(記念すべき1963年)
 整形外科学会を中心として、日本リハビリテーション医学会の創立総会が開かれる。
 清瀬の東京療養所に日本で初めてのリハビリテーション学院が創立される。


 1965年、理学療法士及び作業療法士法制定。

 (1960年代〜70年代 福祉における取組)
○  1969(昭和44)年に養護老人ホーム特別養護老人ホームに関する基準が制定され、「被収容者に対し、その身体的及び精神的条件に応じ、機能を回復し又は機能の減退を防止するための訓練に参加する機会を与えなければならない」と規定された。また、同年には、高齢者に対する福祉用具を給付・貸与する日常生活用具給付等事業も創設された。


○  1979(昭和54)年には、在宅の要介護高齢者等に対して日帰り介護施設(デイサービスセンター)等に通所させ、入浴や食事、日常動作訓練等を行うデイサービス事業が創設され、1982(昭和57)年からは在宅の寝たきり老人等に対して、居宅まで訪問して入浴・給食等のサービスを提供する訪問サービス事業が開始された。


 1980年、日本リハビリテーション医学会専門医制度開始。

 (1980年代 老人保健法に基づく取組)
○  1982(昭和57)年に制定された老人保健法は、1973(昭和48)年からの老人医療費無料化制度の転換を図るもので、予防から治療、リハビリテーションまで総合的な保健医療サービスを提供することを目指した。このときに創設された保健事業(以下「老人保健事業」という。)では、壮年期(40歳)からを対象として健康教育、健康診査、機能訓練及び訪問指導などの体系的な予防サービスが市町村で提供されることとなった。特に、機能訓練や訪問指導において、リハビリテーションが施設以外の住みなれた地域で提供されることとなった。


○  1985(昭和60)年8月には、「中間施設に関する懇談会」中間報告において、(1)入院治療後に家庭・社会復帰のためのリハビリテーション・生活訓練などを行う、(2)病院に入院して治療するほどではないが家庭では十分なケアのできない要介護老人に対し医学的な管理と看護を中心としたサービスを行う、という役割を担う施設の必要性が指摘された。これを受け、1986(昭和61)年に、医療と福祉とが連携した総合的なサービスを提供する施設として、老人保健施設が創設され、モデル事業を経て全国的な整備が図られてきた。


 (1990年代 ゴールドプランにおける取組)
○  1990年代には、高齢者保健福祉推進10か年戦略(ゴールドプラン)や老人保健福祉計画に基づき、市町村を中心として高齢者の保健福祉の基盤整備が図られてきた。この中で推進された「寝たきり老人ゼロ作戦」は、1989(平成元)年に公表された在宅・施設で寝たきり状態にある老人比率の国際比較に関する研究(「寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」(班長:竹中 浩治))における、わが国の長期ケア施設入所者に寝たきり状態が多く、これは過度の安静によりつくられたものであるという指摘を踏まえて策定された。また併せて、寝たきりを予防するための標語(寝たきりゼロへの10か条)や障害老人の日常生活自立度(寝たきり)判定基準が作成された。この標語や判定基準は、保健・医療・福祉の各分野において共通の尺度として活用され、高齢者の保健医療福祉サービス提供者の意識の変革を促し、いわゆる「つくられた寝たきり」の予防につながった。


○  また、1992(平成4)年には、老人訪問看護制度が創設され、訪問看護ステーションから、看護師、理学療法士作業療法士などによる在宅での看護・リハビリテーションが実施されることになった。


 1992年、リハビリテーション関係診療報酬の大幅な引き上げと早期の濃密なリハビリテーションへの誘導。総合リハビリテーション施設の新設により、理学療法(I)の入院6ヶ月以内の患者に対する「複雑なもの」の点数は、345点→660点(91.3%増)となった。老人早期理学療法新設。老健ディケアの義務化。
 1994年、高齢者保健福祉推進計画10か年戦略見直し(新ゴールドプラン)。
 1996年、リハビリテーション科が標榜科として制定。
 1997年、言語聴覚士法制定。


 二木立先生の講演「今後の医療制度改革とリハビリテーション医療」でも指摘されているが、旧厚生省は、日本リハビリテーション医学会や日本リハビリテーション病院・施設協会の「根拠に基づく」提言、先進的医療機関の取り組みを評価し、リハビリテーション医療の質の引き上げに努めてきた。1980年代以降の厳しい医療費抑制政策の下でも、質の高いリハビリテーション(急性期・回復期)が評価されてきている。また、一連の改定で質の評価・管理のための規制が強化された。


 振り返ってみると、1999年まではリハビリテーション医療にとって実に穏やかな時代だった。悩みは、セラピストを確保できない、とか、病院管理部の理解不足のため訓練室が片隅に追いやられて使いにくい、などといったことだった。総合リハビリテーション承認施設など高嶺の花だった。
 東北地方というリハビリテーション医療不毛の地域に、総合的な対応ができるリハビリテーション医療の拠点を作ることが私の夢だった。その目標に向い、少しずつ足場を築き、次第にリハビリテーション医療への理解が広がっていった時代だった。