野茂英雄の挑戦

 野茂英雄が、大リーグロイヤルズとマイナー契約をしました。


 正直、2005年6月に日米通算200勝をあげた直後、7月にデビルレイズを解雇され、翌年には右肘の手術をした後、ニュースにもならない状態が続いていました。今年10月よりベネズエラで行われたウィンターリーグに参加していましたが、故障がちで結果も残せず、まさか大リーグからお呼びがかかるとは思いませんでした。


 1995年、野茂は所属していた近鉄と喧嘩別れ同様の状態で、渡米しました。その当時、大リーグと日本野球には実力差があると思われており、ドクターKと呼ばれた野茂といえども通用するかどうか疑問視されていた時代です。ドジャースに所属し、トルネード投法という独特のフォームと、奪三振率の高さで人気を博し、野茂マニアという言葉が生まれるほどの大活躍をし、新人王もとりました。野茂が開けた風穴は、イチローをはじめ、続く日本人選手の活躍で大きく広がりました。いまや、日本野球のレベルの高さは大リーグ関係者周知のこととなり、今年も、福留、黒田、福盛などが挑戦をします。野球の歴史の中で、野茂の名は金字塔として輝いています。


 野茂にはいつも勇気をもらっています。


 野茂のことを追い続けているブログをご紹介いたします。ダメ子の日記より、2008年10月13日の記事を、掟破りとは思いますが、全文引用します。

今冬に野茂さんが復活する!!


先日、野茂さん自信のHPでベネズエラリーグへの参加が表明されました
ね。*^-^* ここで試合勘を取り戻して春のMLBのキャンプへの招待を待つシナリオなんでしょうね。


野茂さんといえばオールスター出場やノーヒットノーラン達成、奪三振王獲得などの華々しいキャリアばかりが思い返されますが、アメリカで歩んできた道程は決して平坦ではなかったと思います。


元々野茂さんは天賦の才に恵まれた【選ばれた身分の選手】の範疇に入るでしょうそんな野茂さんが思いがけぬ逆境(解雇とか)にあったり、辺鄙な土地(マイナーとかね)で辛酸を舐めたりもしてきましたが、彼は自分の殻に閉じこもってしまうような事はなかったですよね。


いつでも自分のコントロールの甘さを明るく認めて謙虚に成長するための努力を怠ってはいなかったと思うし、実際TVの特集などでも取り上げられていましたね。


野茂さんはかたくなに「自分の投球美学を貫きたい」と言い続けていました。その一方では「40歳以上になっても投げたい」と語り綿密な管理の元で実際にトレーニング方法もそれに準じて変えていったと聞いてます。


こんな野茂さんの真摯な姿を伝え聞くと、過去に何人か存在したと言われる長寿選手(彼らもまたそれぞれのスタイルを貫き,選手寿命をまっとうしたと思われます)の伝説を重ね焼きしてしまいます☆


もしかすると「野茂さんは彼ら(伝説)と似た晩年を迎えるかもしれない」などと勝手に想像しちゃいます〜♪長寿選手になるには才能とハートと独自のスタイルが必要でしょう、野茂さんにはそれがあるように思うんですよ・・・・


あとは、ちょっとの強運とタイミングですかねェ〜


ここまで来たら欲の皮は突っ張らない方がイイと思います。優勝とかタイトルとか記録とかを狙っていくんじゃなくて【野茂スタイル】を黙々と貫いていく事だけを考えて行く方が重要なのかもしれませんね。


そうすれば野茂さんは間違いなく記憶に残る選手になるでしょう伝統あるアメリカの野球界において【記憶に残り続けること】はタイトルをとったりする事より遥かに難しく、偉大な功績なんじゃないかしら?野茂さんなら出来る!と信じたいですね〜♪


39歳を迎え、1年以上のブランクのあるベテラン投手がメジャーに復活するのは正直な感想で言えば厳しいんでしょう、でもこの挑戦も野茂さんらしいじゃない?「夢をあきらめるな」と言い続けるのは、他ならね野茂さん自身なんだから・・・


イオニアがもう一度、夢への挑戦を始めた、応援しない理由は何処にもない!


頑張れ!野茂さん!  あきらめないで・・・・・・・


 野茂英雄、1968年8月31日生まれ。今年、40歳になります。