福の神 仙台四郎


[rakuten:aito:625285:image]


 明けましておめでとうございます。


 本日は、福の神 仙台四郎のご紹介をいたします。

 あさかぜネット「仙台四郎/実在した福の神」から引用します。

 仙台四郎は明治時代に実在した人物で、この四郎さんが立ち寄る店が皆繁盛した事から、「福の神」と言われるようになりました。(上の写真はとても幸せそうな笑顔をしていますが、30歳頃の写真といわれています)


 仙台四郎は本名を芳賀四郎といい、江戸末期に鉄砲職人の家庭に4番目の子として生まれました。生家は裕福だったのですが、いわゆる「智恵おくれ」だったため「しろばか(四郎馬鹿)」と呼ばれていたそうです。


 しかし、生まれつき智恵おくれだったわけではなく、7歳の頃に川(広瀬川)に落ちて流され、意識不明になった時から知能の発達が遅れたようです。


 その後四郎さんは街を徘徊するようになり、箒(ほうき)が立てかけてれば、勝手に店の前を掃いたり、店先にひしゃくを入れたままの水おけがあれば、これまた勝手に水をまく。といった行動をとったようです。


 やがて四郎さんが掃除した店は繁盛すると噂されるようになり、「福の神」と呼ばれるようになるわけですが、実際に四郎さんが立ち寄った店は客が入るようになったそうです。


 四郎さんが「福の神」と噂されるようになると、わざと店の前に箒(ほうき)を立てかけたり水おけを置き、四郎さんを招き入れようとする店が増えたそうですが、そのような下心のある店には寄りつかなかったそうです。


 四郎さんの知能がどれほど遅れていたのかは不明ですが、どうやら、直感的に自分を本当に歓迎してくれる店とそうでない店を見分けていたようです。そして、歓迎してくれる店が繁盛したということらしいです。


 また、四郎さんは、子供のように明るく、純真で、いつも笑顔だったそうです。体も丈夫で、四郎さんに抱いてもらった子供は健康に育ったとも言われています。
 その後何歳まで生きて、何時何処で亡くなったのかは諸説があり、よくわからないそうです。


 仙台四郎には写真が一枚だけ残っており、大正に入るころに、仙台市内の千葉写真館が「明治福の神(仙台四郎君)」と銘打ってこの写真を売り出した頃から「仙台四郎」と呼ばれるようになった、とWikipediaに記載されています。


 仙台四郎には、本物とニセモノを見分ける絶妙なセンサーがあったようです。しかし、仙台四郎をキャラクター化し、福の神として祭る庶民の知恵もなかなかしたたかなものがあるなと、いつも感心させられます。


 患者会の旅行にお付き合いした時、行く先々のお店や観光地でさりげない心遣いをいただきます。また、家族旅行をした時も、高齢者や車椅子の方を笑顔でサポートするスタッフを良く見かけます。そして、そのような場所にかぎって、いつもお客でにぎわっているように感じます。仙台四郎を愛した庶民感覚は今も受け継がれています。


 明日は、仙台の風物詩初売りの日です。今年も、仙台四郎は福の神として活躍しています。