未知性が偏見や差別を引き起こす理由

 先日のエントリーで「未知の漠然とした不安が、偏見や差別を引き起こす」ことを指摘した。このことに関し、少し掘り下げてみる。

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 偏見や差別は、心の二重過程理論における「自律的システム」によって生じる認知バイアスに関係している。リスク認知バイアスの進化心理学的な解釈(小松秀徳ほか)の要約に次のような記載がある。

このリスク認知バイアスの多くは、人間が持つヒューリスティクス(直観)に起因するものと考えられる。進化心理学では、ヒューリスティクスを含む、現在の人類が持つ一般的な心理的傾向は、我々の先祖が石器時代の環境に適応した結果得られたものと考えられている。このような進化心理学的な解釈に基づき、ヒューリスティクスのみに頼っていると発生してしまうリスク認知バイアスについて、その発生起源を理解し、さらに熟慮によってリスク認知バイアスを解消する制度・組織を確立し、より合理的な意思決定を可能とすることが期待される。


 本文の方では、Slovicの研究をまず紹介している。リスク認知バイアスを因子分析にかけ、恐ろしさ(Dread risk)と未知性(Unknown risk)の2つの因子にまとめられることを示している*1。なお、筆者は、先行研究をふまえて作成されたCovello によるリスク認知バイアスのリストの方を用いて、議論を行っている。このなかで、「なじみ」と「理解」に関しては、次のような説明を行っている。

 「なじみ」と「理解」は、進化心理学の一般的な説であるエラーマネジメント理論(Haselton, 2000)に基づいて解釈可能と考えられる。エラーマネジメント理論とは、対象物が危険であるかどうかが不確実である場合、実際には危険であるものを危険でないと間違えるより、危険でないものを危険であると間違える方が生存上有利であったため、リスク忌避的な判断を下す性向が進化した、という理論である。例えば石器時代では、ただの木の枝を蛇と間違える方が、蛇を木の枝と間違えるより、生き延びる確率は高かっただろう。「なじみ」がない、あるいは「理解」できないという状態は、対象物が危険であるかどうかが不確実である状態に対応し、エラーマネジメント理論と整合すると考えられる。反対に、対象に「なじみ」がある、または対象を「理解している」場合は、リスク忌避的に振舞う必要はない。このように、「なじみ」と「理解」は、個人の適応度管理の問題に帰着できると考えられる。


 未知性が恐怖を増大させる。外国人恐怖症xenophobiaという言葉がある。狩猟採集生活では、人間関係は血縁関係の小集団に限られている。それ以外の人間は敵対関係にあると直感的に判断した方が適当である。肌の色や言葉が異なる他者に嫌悪感を抱き、近寄ること自体が拒絶される。攘夷思想は、日本特有のものではない。
 血縁関係の集団は最大でも150人程度までと言われている。この数値をダンバー数、この集団を氏族(クラン)と表現する。古くからの狩猟採集生活を行う氏族同士は、お互いのことをほとんど知らず、空間的にも心理的にも距離が大きい。隔絶された集団同士が、やむをえず、距離感を縮めざるをえない状況になった時、先入観が偏見をともなって大きくなり、軋轢が増幅し、争いごとの原因となる。
 未知の他者との接触を意識的に心がけ、類似点や相違点を理解する機会を増やすことが恐怖心をやわらげることになるが、慎重な対応が必要である。そこで、仲介役という重要な役割を務めるのが対象者に日常ふだんに接している専門家である。障害者差別の問題を考える時に、その役目を果たすのは、職業的代弁者である医療関係者となる。
 知らないことは恐怖を生み、恐怖は差別の誘因となる。差別はいろいろな原因で生まれるが、未知性と恐怖のサイクルが重要な位置を占めていることを忘れてはならないと思う。