Physical Medicineの父 Krusen、Rehabilitation の父Rusk

 リハビリテーション医学の歴史を調べていて、興味深い論文に出会った。1996年第33回日本リハビリテーション医学会の招待講演、Kottke J.: Physical Medicine and Rehabilitation:Past, Present, and Futureである。第二次世界大戦前後の状況に関して、次のようなフレーズがある。

#  Dr. Frank H. Krusenに関する一節、本文23ページより
Because of all of these outstanding characteristics of advocacy, leadership, education, and research in physical medicine and rehabilitation he can truly be thought of as the Father of Physical Medicine.

# Dr.Howard Ruskに関する一節、本文23ページより
The concept of rehabilitation to optimal function again in society was stimulated from quite another source, initiated by the observations, advocacy and publications of Dr.Howard Rusk, the Father of Rehabilitation in the United States


 Physical Medicineの父 Krusen、Rehabilitation の父Rusk、というように対句のように並んでいる。では、当時、Physical MedicineとRehabilitationは、どのように認識されていたのだろうか。


現代リハビリテーション医学 改訂第3版

現代リハビリテーション医学 改訂第3版


 「現代リハビリテーション医学改訂第3版(千野直一編)」では、「リハビリテーション医学の定義」(1ページ)で、次のような指摘をしている。

 リハビリテーション医学は、物理医学(physical medicine)とリハビリテーション(rehabilitation)という一見まったく異なるようにみえる2つの医学の分野が統合されたものである。
 リハビリテーション医学の第一の部門である物理医学は、古来より医療の中で用いられてきた運動療法、電気刺激、温熱、光線療法、装具療法などを用いて、主として運動・認知機能に障害をもつ患者の治療や、運動電気生理学的手法により、病態の検索、診断を行うものである。
 一方、第二の分野であるリハビリテーション(リハビリ)は、患者を身体的、心理的、社会・職業的に最大のレベルまで到達させることである。


 さらに、「リハビリテーション医学の歴史」のなかにある「米国のリハビリテーション医学の歴史」(7〜8ページ)では、次のような記述をしている。

 1947年に物理医学を中心として発足した専門医制度は、この専門領域の対象となる運動機能障害をもつほとんどの患者が、同時に、自宅や職場、地域社会への復帰、すなわち、リハビリを必要とするものであった。そのために、1949年に物理医学専門医制度にリハビリの分野が加わり、American Board of Physical Medicine(物理医学専門医)はAmerican Board of Physical Medicine and Rehabilitaiton:PM & R(物理医学とリハビリ専門医)となった。


 Kottkeの論文を読むと、Krusenが1943年に作られたBaruch委員会の最高責任者として、教育・研究のプログラムづくりに傑出した才能を示し、多くの後継者を育てたことがわかる。代表的なテキストが、下記「Krusen's Handbook of Physical Medicine and Rehabilitation」である。


Krusen's Handbook of Physical Medicine and Rehabilitation

Krusen's Handbook of Physical Medicine and Rehabilitation


 Krusen自身が書いた論文、Historical development in physical medicine and rehabilitation during the last forty years. Walter J. Zeiter Lecture. - PubMed - NCBIに、初期の頃、物理療法医が受けた偏見に関し、次のような記述がある。

# First Decade (1928-1937)の項、本文2ページより
they had had to say that the employment of physical therapy by physicians was "still violently condemned, in toto, by some physicians.


 物理療法を用いることは乱暴に非難されていた時代であることが示されている。内科的、ないし、外科的アプローチ以外の方法として、物理医学的手段が軽視されていた時代に、その科学性を追求し、教育・研究に関するシステムづくりに大きく関わったことにより、KrusenはPhysical Medicine(物理医学)の父と称されるようになった、といえる。


 一方、Ruskの方はもともとは内科医であり、1939年からセントルイスにあるJefferson Barracksで戦傷兵の復帰に関わっていた。回復期にある兵士たちは、何もしないでいると身体的により悪化(deconditioned)し、精神的にもよりうつ状態(depressed)になったことを観察した。そこでRuskはより積極的に活動するハードなプログラムを作り、効果ををあげた。Ruskが示した方法は、病後や術後のベッド上臥床期間を短くする方向で全国的に普及していった。


 Ruskの活動は、前回紹介した「リハビリテーションの歩み その源流とこれから(上田敏著)」に詳しく記載されている。
 専門医制度発足に関しては、「リハビリテーション」という目的を示すのか、「物理医学」という手段を示すのかで、RuskらとKrusenらとの間で対立があった。最初に作られた物理医学専門医制度に対抗し、Ruskらがリハビリテーション医学レジデントプログラムを作ろうとしたが、最終的には物理医学とリハビリテーション専門医制度という名に妥協案となったことが示されている。


 日本のリハビリテーション医学の歴史を振り返ると、千野直一先生がKrusen、上田敏先生がRuskに相当するのかなという感想を持つ。ここで紹介したそれそれの著書をみると、次のようなフレーズが目に留まる。

# 「現代リハビリテーション医学改訂第3版(千野直一編)」1ページより
 リハビリという言葉も「心身に障害を残した患者が心理社会的に再適応されること」であり、物理医学を必要とする運動機能障害をきたす急性・慢性疾患患者に必然的に要求される心理社会的適応を意味するにすぎない。そのために、リハビリを「全人的復権」と訳すことは、少々形而上的にすぎるといわざるを得まい。

# 「リハビリテーションの歩み その源流とこれから(上田敏著)」134ページより
 いずれにせよ後世の歴史家もいうように、この2者の中で、その後大きく発展したのは後者(リハビリテーション医学)であり、前者(物理医学)ではなかったのである。


 上田敏先生の語り口で、リハビリテーション医学の面白さに触れ、千野直一先生を作り上げてきた科学的な体系を根拠に活動してきている者としては、両者の視点ともリハビリテーション医学の発展のためには欠かせないものと考えている。今回まとめたことを題材に、リハビリテーション医学がどのような形で発展してきたかを「リハビリテーション医学」の講義の際に伝えることにしたい。