地震の日本史

  本書に巻かれた帯に刻まれていた次の文言にひかれ、本書を購入した。

 「平安時代に起きた東北巨大地震18年後には、南海大地震が起きている!


地震の日本史―大地は何を語るのか (中公新書)

地震の日本史―大地は何を語るのか (中公新書)


 本書の著者の寒川旭氏は、「地震考古学」の提唱者である。「地震考古学」とは、地震学と考古学をあわせ持つ学問であり、遺跡にある地震跡の調査と、歴史資料の地震に関する記述との照らし合わせによって、発生年代の推定や将来の地震の予測を行う、新しい学問分野である(Wikipediaより)。日本は世界有数の地震国であり、過去千数百年に及ぶ文字記録が残されている。この記録と考古学的遺跡とを照らし合わせ、地震の起きた年代を推定することができる。
 地震は、プレートの境界から発生するものと活断層が原因のものとに大別される。活断層は、「長い静寂」と「一瞬の活動」を繰り返している。活断層を掘り下げ、様々な年代の地層の食い違いを観察する方法を「トレンチ調査」という。この調査によって活断層地震の発生時期が推定される。本書は、縄文時代から21世紀にいたるまでの地震記録を年代ごとに丹念に記録しながら、地震の実態を明らかにしていく。


 歴史記録をみると、東日本大震災と同様に仙台平野を巨大津波が襲ったことが2回あった。貞観地震(869年)と慶長16年に起きた地震(1611)である。それぞれの地震の前後、日本全体で地震が相次いでいた。本書をもとに時系列で表すと、次のようになる。トレンチ調査で震源と推定された活断層を記す。津波を伴うものは、推定されるプレートを提示する。一部、寒川旭氏のコラムをリンクする。


# 貞観地震前後
 818年、関東地域北部。
 830年、秋田県
 841年、長野県中部(糸魚川−静岡構造線断層帯)。伊豆半島(北伊豆断層帯
 850年、秋田県
 863年、富山・新潟両県。
 864年、富士山の火山活動が活発化し、青木ヶ原を形成。
 868年、播磨地震兵庫県、山崎断層帯)。
 869年、貞観地震が起き、陸奥国を巨大津波が襲う(太平洋海底プレート)。
 871年、鳥海山噴火。
 878年、関東南部(伊勢原断層)。
 880年、島根県出雲。
 887年、仁和南海地震が起き、摂津や淡路を巨大津波が襲う(南海トラフ)。東海地震も発生した可能性あり。


# 慶長16年に起きた地震前後
 1586年1月18日、天正地震が起き、中部地域から近畿東部を巨大地震が襲う(岐阜から愛知にかけ、庄川断層帯、阿寺断層帯、養老―桑名―四日市断層帯が連動)*1。この地震の際、豊臣秀吉は琵琶湖沿岸の坂本城にいた。大阪城へ避難する途中、琵琶湖のナマズが奇妙な行動を起こした。1592年末、秀吉は伏見城の普請を担当した前田玄以に出した手紙の中で「ふしみのふしんなまつ(鯰)大事にて候」と書いた。この手紙が地震を鯰と表現した最古の史料である*2
 1596年9月1日、別府湾周辺の大地震。同年9月5日、伏見地震にて伏見城倒壊などの大被害発生(大阪平野の補北縁から六甲山地の北に続く有馬ー高槻構造線活断層系、六甲・淡路島断層帯が連動)。四国の中央構造線断層帯も活動した可能性が示唆されている。
 1605年2月3日、房総半島から静岡、四国に及び太平洋沿岸の広範囲に津波が押し寄せる(南海トラフ)。揺れが小さく、津波だけが押し寄せる津波地震だった。
 1611年9月27日、会津地震会津盆地西縁断層帯*3。同年12月2日、三陸沖で地震が発生し、三陸沿岸から北海道東岸にかけて広範囲の地域が津波被害を受けた(太平洋海底プレート)。
 1646年6月9日、仙台内陸部で地震
 1659年4月21日、栃木、田島宿で地震
 1662年6月16日、寛文近江・若狭地震(琵琶湖西岸、花折断層)。同年10月31日、日向の外所(とんところ)地震が起き、津波が襲う(日向灘海底)。
 1666年2月1日、新潟、高田地震
 1683年6月17、18日、日光地震(関谷断層)。
 1703年12月31日、元禄関東地震が起き、津波が襲う(相模トラフ)。
 1707年10月28日、宝永地震が起き、静岡から四国にかけての広範囲を津波が襲う(南海トラフのほぼ全域)。同年12月16日、富士山の宝永火口から噴火。


 俯瞰してみると、貞観地震、慶長地震前後で、日本全体にプレート型巨大地震活断層地震が連鎖していることがわかる。南海トラフ震源とする津波を伴う巨大地震は90〜150年の間隔で発生している*41854年には安政東海地震と南海地震が連続して生じた翌年に安政江戸地震が起こった。1923年の大正関東地震から20年あまり後の1944年、1946年に東南海地震昭和南地震が生じた。大地震は連鎖すると考え、備えをする必要がある。
 本書を読んで気になったことがもう一つある。近畿地方には、活断層地震が多いということである。琵琶湖周辺には多くの活断層が分布している。特に琵琶湖西岸活断層帯は活発に活動を続けている。琵琶湖は断層活動のたびに沈降し湖水を蓄える。湖に流れ込む土砂の埋め立てよりも沈降量が上回り続けるため、巨大な湖として存在し続ける。鴨長明が嘆いた1185年の大地震は、琵琶湖西岸の堅田断層が震源と推定されている。1596年に起こった別府湾の大地震、4日後に生じた伏見地震、文献記録はないが活動したと推定される四国の中央構造線断層帯、そして、1622年に生じた花折断層の地震のルートを見ると、九州北東端から四国と京阪神を経由して、琵琶湖西岸を通り、若狭湾へとつながる地震のコースが浮かび上がる。人口密集地帯を直下型地震が襲う危険性が高いことを念頭に入れた防災対策が求められる。