石巻日赤院長講演「東日本大震災の教訓:被災地の拠点病院として」

 本日行われた宮城県リハビリテーション医会第1回研究会で、石巻赤十字病院飯沼一宇院長の講演「東日本大震災の教訓:被災地の拠点病院として」を聴いた。災害医療のポイントを次の3点にまとめていた。
 1)危機管理の事前準備と整備
 2)通信と物流の整備
 3)統率と協力


 石巻赤十字病院は、災害拠点病院として様々な準備をしてきていた。2006年に現在地に移転した際、石巻市で初めて免震構造を採用した。北上川に近いこともあり、洪水対策として3mの盛土をした。待合室ホールを災害時の受け入れスペースとして位置づけ、酸素や吸引の配管を整え、床暖房とした。非常用電源、水道の対策もとっていた。以上のハード面に加え、災害時マニュアルの整備、大規模災害を想定した定期的訓練、地域関係機関との協議など着々と準備をした。そして、2011年2月に、石井正医師が宮城県災害コーディネーターとして任命された1ヵ月後に、東日本大震災が起こった。地域の医療機関が壊滅状態となるなかで、唯一残った医療機関として獅子奮迅の働きをした。数年以内に必ず起こると言われていた宮城県沖地震の準備として進めてきた危機管理対策が役立った。唯一不十分だったのは、職員の食糧備蓄だった。患者用の食事は缶詰にしたものが3日分あったとのことだが、全職員が自宅に帰れずに働かなければいけない事態は想定していなかったとのことだった。
 通信手段もいくつか整備していたが、実際には役立たなかった。自分たちのところの通信機器が使用できても、連携相手に問題がある場合には、つながらない。結局のところ、人海戦術で足で情報を集めるしかなかった。物流も途絶えた。何よりもガソリン不足が問題となった。今後の大震災の教訓として、大災害に強い通信網の整備が必要とまとめられた。なお、震災前にはセキスイハウスと災害時協定を結び、大人数の人間が入ることができるテント準備を要請し、実際に実施された。震災後さらにイオン石巻と協定を結び、食料その他の物流確保に努めている。
 全国各地からの支援には助けられた。しかし、統率がとれなければ、現場の力にはならない。災害コーディネーター石井正医師が責任者となり、応援部隊は避難所等の外部支援に回った。エリアとその責任者を明確にした。継続して支援に来れる団体の場合には、一つの仕事をラインとして任せた。散発的な支援は人手が必要な部署にスポットとして回した。刻々と変わる状況をふまえ、指揮系統を明確にし、対応した。統率と協力が成果をあげた。


 以下、質疑応答より。


 公衆電話などのアナログ式固定電話は、電話線を通じて電気が供給されるので災害時には強いが、どう思うか。
⇒ 実際、自分も使用してみたが、相手が出なかった。通話相手も含めた通信網の整備が必要と思う。


 災害弱者への対策はどうだったのか。自分たちの地域は、訪問看護ステーションなどの居宅サービス事業者が自分の危険を省みず、一軒一軒安否を確認していた。物資も不十分だった。医療側は病院にたてこもって患者対応に精一杯だったので、後になって在宅要介護者の状況が分かった。
⇒ 外部からの応援部隊が避難所めぐりをする中で、問題となる者を探し出した。重度要介護者を遊学館に、やや軽い者を桃生トレセンに集めた。


 講演のなかで、次の2つの書籍を紹介された。

石巻赤十字病院の100日間

石巻赤十字病院の100日間

 後者は2012年2月に発売されたばかりである。今回の講演の復習の意味を含め、購入して読んでみることにしたい。