魚市場や商店街、飲屋街の復活こそが被災地の健康被害拡大を防ぐ

 震災後の二次的障害として、生活不活発病が注目されている。

 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町で、長時間体を動かさないことで日常動作が困難になる「生活不活発病」の疑いのある高齢者(65歳以上)が調査対象の2割を超えることが、町と国立長寿医療研究センター(愛知県)の共同調査で分かった。
 調査の中間集計で判明した。介護を受けていない高齢者2702人の健康状況を分析した結果、「震災後、歩くのが難しくなり、今も回復していない」と答えた人は572人で、全体の21.2%に達した。
 仮設住宅入居者は震災後、871人中339人に歩行困難の症状が現れた。このうち261人は回復せず、生活不活発病とみられる高齢者の割合は30.0%に上った。内訳は町内が181人、町外が80人。
 在宅の高齢者も1831人のうち311人(17.0%)に、同病の疑いがあることが判明。被災した沿岸部が164人を占めたが、直接被災していない内陸部でも107人いた。みなし仮設などの町外住宅は40人だった。
 生活の不活発化の理由としては「することがない」「外出が少なくなった」「疲れやすくなった」との回答が多い。被災していない地域では、スポーツや趣味を遠慮する傾向も目立つという。
 調査した同センター生活機能賦活研究部長の大川弥生医師は「元気だった人にも頻発しており、深刻な事態だ。いったん歩きにくくなるとさらに動かなくなり、症状が悪化する悪循環に陥る」と指摘。予防や症状改善に向けた早期対策を訴える。
 対策のポイントとして、地域や家庭で高齢者の参加機会を増やすことを挙げ「日常生活の中で自然に頭と体を使うのが基本。高齢者が知恵と能力を発揮し、充実した生活を送れるよう周囲の工夫が重要だ」と語る。
 調査は10〜11月、同町の全町民約1万3000人を対象にした健康状況調査の一環として実施。訪問や郵送で回収した。

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120104t11004.htm


 南三陸町町勢要覧2007、人口を見ると、65歳以上人口の割合は、平成17年10月1日現在で1万8645人中5147名27.6%となっている。震災後、人口が約1万3000人と激減している。人口高齢化進行を考慮し、65歳以上の割合が現時点で約3割だったと仮定すると、対象者はおよそ3900人となる。通常、要介護・要支援者の割合は高齢人口の約2割なので、アンケート対象となったのは残りの8割およそ3100人となる。回答者数2702人を比べると、高率の回収率であることがわかる。信頼性の高い調査と推測する。本調査をみると、生活不活発病の発症率はきわめて高く、憂慮すべき状況である。
 生活不活発病対策にはいささか異論がある。本症の発症要因として最も重要なのは、共同体機能の低下に伴う役割喪失である。地域の一員として仕事に誇りを持ち生活をしていた高齢者が、援助をされるだけの状態にとどめ置かれていることが問題である。単に「身体を動かしましょう」と指導するだけでは、生活不活発病の悪循環を防ぐことはできない。


 原発からの避難者にも同様の生活不活発病が起きるおそれがある。「いつまでも避難者のままでいたくない」と農地を借りて、生活の再建を目指している方の紹介記事の最後に、次のような記載がある。

【就労対策】
 県が県内の仮設住宅に入居する世帯主を対象に昨年9月に実施した就労調査では、震災後に働いていない65歳未満の世帯主は52%を占めた。また、未就労者のうち「見通しが不透明」「高齢のため」などの理由で37%が就労希望なしと答えた。
 県は緊急雇用創出基金に197億円の震災対応枠を設けて避難者の就労を促し、求人ベースでは1万2000人を超える雇用を確保している。しかし、避難者のニーズが求人職種に合わないミスマッチも起きている。

新天地、農業で自立 | 東日本大震災 | 福島民報


 就労世代においても、慣れない避難生活の中で、仕事をしていない者が過半数となっている。65歳以上の高齢者では、閉じこもりがちとなっている者が少なくないのではないかという危惧がある。避難者は、放射線被曝だけではなく、生活を破壊されたことに伴う様々なストレスや生活不活発病のリスクを負っている。


 被災地で、自らの手で生活再建を進めている高齢者の事例がいくつか報告されている。

 横丁から復興のともしびを−。津波で全壊した釜石市大町の飲食店街「呑(の)ん兵衛(べえ)横丁」が23日、釜石市鈴子町の仮設飲食店街で営業を再開した。


(中略)


「やす子」には、店主の荒沢やす子さん(64)と避難所生活を共に送った仲間3人が集まり、再開を祝った。荒沢さんは「震災がなければ知り合うこともなかった仲間。新しい絆を大切にしたい」と笑顔を見せた。


 古くから市民に愛されてきた同横丁は津波で全店舗が全壊。看板やカウンターなども流された。「本当はもうやめようと思ったけど、たくさんの人の応援で、頑張ってみようと思った」と常連客のグラスに飲み物を注ぎながら、「とんぼ」の店主高橋津江子さん(70)は語る。


 店で使う厨房(ちゅうぼう)設備や食器は、同じ名前が縁で支援を続ける渋谷のんべえ横丁など全国各地から寄せられた支援物資がほとんどだ。


 同横丁の組合長で「お恵」の店主菊池悠子さん(72)は「長い道のりだったが、やっと再開できた。支援してくれた人たちに恩返しできるように頑張りたい」と前を向く。

釜石の「呑ん兵衛横丁」再開 仮設店でまず5店|岩手日報


 やす子さんも、津江子さんも、悠子さんも、絶対に生活不活発病にはならない。常連客も店まで足を運ぶから大丈夫。仮設住宅内で1人寂しく酒浸りになり、身体をこわすよりずっと健康的である。被災地の復興に尽力している作業員たちが足を運んでくれれば、地元にお金が落ちる。


 今までおこなってきた生活をできる限り同じように行うこと、魚市場や商店街、飲屋街の復活こそが被災地の健康被害拡大を防ぐ。自ら先頭に立って、復興を目指す方々をこれからも応援し続けたい。


<追伸>
 2012年度初めてのブログです。昨年12月いっぱい、腰痛で臥せっていたこともあり、年末年始を通してお酒はなめる程度しか飲んでいません。エントリーを書いていて、釜石の呑ん兵衛横丁まで飲みにいきたいなと思ってしまいました。
 今年1年が復興に向け確かな足跡を記す年になることを心から願っております。今後ともよろしくお願いいたします。