光のページェントと神戸ルミナリエ

 光のページェントが、東日本大震災を乗り越え、今年も開かれることになった。

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 実行委によると、電飾は仙台市宮城野区蒲生地区の倉庫で保管していた。3月11日の津波はその倉庫を直撃、一昨年、昨年と2年かけて発光ダイオード(LED)に切り替えたばかりの55万個の電球は海水をかぶり使えなくなった。「もう駄目なんじゃないか」とメンバーの一部から声が上がったという。
 4月に2011年の実行委員会を正式に発足させた。開催するかどうかを協議する中で、最も大きな課題は資金面だった。昨年同様、55万個の電球を新たに調達するには約4400万円の費用がかかる。街路樹160本への電飾設置費、警備費などを含め、1億円前後の経費が必要になる。
 震災後、復旧が始まったばかりの被災地に赴き、薬剤師として避難所を巡回した瀬戸敏之実行委員長は「多くの被災者から『開催して元気を与えてほしい』と言われた」という。
 実行委の協議では、「鎮魂の思いも込めたい」との意見もあり、「街路樹1本でも2本でも、電球を飾れるのならやろう」と決起した。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110609t15010.htm


 この新聞記事を読んで、思わず涙が流れてきた。心に浮かんだのは、神戸ルミナリエのことである。

 「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年12月に初めて開催され、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。

神戸ルミナリエ

 光のページェントは1986年に始まった。歴史こそ浅いが、夏の七夕とともに仙台の冬の風物詩として全国に知られるようになった。商店街が中心となって行われる七夕と違い、光のページェント実行委員会形式をとって運用されているため、毎年、資金難が問題となっている。今年は、さらに津波被害も加わってしまった。まさか、こんなところまで津波が押し寄せるとはという思いと資金集めがいっそう困難になったという思いが実行委員会内で交錯したことが伺える。
 光には人を癒す力がある。冬の定禅寺通を彩る光の回廊の美しさは、いつ見ても心を奪われる。全国から観光客に訪れてもらうことが、東北地方の復興につながる。光のページェントが例年以上の規模で開催できるようになるためにも、寄付金集めが成功することを願う。