大学同窓会で聞いた武勇伝

 昨日、大学医学部全体の同窓会定期総会がありました。今年は、我々の学年が当番だったこともあり、懇親会のあとに二次会のような形で卒年の同窓会を開きました。
 近況報告でお互いの武勇伝を披露しあいました。千年に一度と言われる巨大地震、大津波に加え、原発事故もあり、話題がつきることはありませんでした。大学教授になっているもの、開業しているもの、勤務医など、立場は様々ですが、ほとんどが東北の地で活躍しています。期せずして、あの時に医療現場で何が起こったかが多角的な視点で描きだされることになりました。
 仙台沿岸部で開業していた同級生は、まさか津波が来るとは思わなかったようで、トイレで用を足していたそうです。住居が多い場所で気がついた時には津波が間近に迫っていました。職員が大騒ぎをする声を聞いて、あわてて2階に逃れ、一命をとりとめたということです。大の方でなくて良かった、史上最大の水洗便所だとしみじみと語っていました。
 学会出張中に、仙台空港に駐車していた車を流されたものもいました。なんとかして、地元に戻ろうとしてレンタカーを借りて十数万円かけて帰ったとのことです。とんでもない出費となったと嘆いていました。
 気仙沼の病院に定期の支援に行っており、そのまま病院に残って被災者医療にたずさわった医師もいました。律儀に謝礼を出そうとしたのを断ったという話を聞いて、地方の病院がおかれた弱い立場が描き出されました。
 南相馬市の病院に働いている医師もいました。当初は自宅待機を命じられていたのですが、現在はバイクで数十キロを毎日通っているとのことです。なかなかの猛者です。ただし、聞いていて他の同級生も同じですが、医師というのは、放射線に鈍感になりすぎている嫌いがあります。確かに診療の過程で放射線を浴びることは多いことに間違いありませんが、今問題となっているのは、内部被曝です。舞い上がる埃を吸い込まなければ良いが、と心配になりました。
 何はともあれ、同級生は全員無事であることを確認することができ、安心しました。本日、日直だったこともあり、二次会(三次会?)には出ずに帰りました。二日酔いが残っていたので少々辛かったのですが、なんとか乗り切ることができました。明日から、また日常診療が始まります。同窓会でもらった元気を糧に頑張っていきたいと思います。