医療機関の被災状況と機能連携に向けた取り組み

 医師会の会合や個々の医療機関との連携を進める中で、東日本大震災時、仙台市医療機関がどのような状況に陥ったか少しずつ分かってきた。


# 医療機関の被災と稼働制限

  • 無傷だった医療機関は皆無だった。急性期患者を受け入れた病院でも稼働制限を生じた。
  • 仙台市立病院はボイラーの煙突部分が損傷した。60トンあまりの塊が落下する可能性があったため、病床やCT等の検査機器が使えない状況になっていた。未だに暖房は入らない。
  • 仙台医療センターでは、タンクが損傷した。水道が使用できなくなり、2病棟分を閉鎖せざるをえなかった。手術待機患者を退院させて対応した。タンクを取り寄せて復旧を目指していたが、4月7日の強い余震が起こったため、点検を進めている状況。
  • 東北公済病院では電源が落ち、人工呼吸器も使用できない状態となった。そのような状態で、宮城野分院の病棟が半壊時状態となり、患者を本院に引き取らざるをえない状況になった。震災後4週間経っても、未だに病棟の床に患者が寝ている状態となっている。
  • 東北厚生年金病院は、ライフラインが途絶し、入院患者を急いで他院に紹介させなければいけなかった。
  • その他の医療機関でも暖房、電気、水道、ガスの損傷が原因となり、医療機能の制限が必要となった。
  • 病院職員も被災者だった。ガソリン不足で通勤が困難となった者も含め、残された職員が頑張らざるをえない状態となった。
  • 仙台市近郊でも、仙塩病院、南浜中央病院が津波被害を受け、機能を停止した。


# 他医療機関からの受け入れ需要の増大

  • 外傷、震災関連疾患の増大に加え、医療機関の機能停止に伴う転院需要が増大した。
  • 宮城県沿岸部からの医療需要が増えた。特に石巻市は、市立病院だけでなく、地域の開業医も壊滅的な打撃を受け、石巻赤十字病院が孤軍奮闘している状況。石巻市立病院からヘリコプターで霞目飛行場に患者を搬送し、様々な医療機関に受け入れてもらったが、他の患者の診療情報提供書を持参したりしているような状況でかなりの混乱があった。
  • 釜石、気仙沼、南三陸、岩沼、相馬など広範囲に患者が仙台に搬送されてきていた。軽症患者は後方病院に送られた。しかし、これらの患者の退院先が見つからず、やむをえず、仙台市の避難所に退院させた者もいた。


# 混乱期を過ぎた後の不安

  • オーバーベッドや在院日数問題に関し、厚労省が様々な通達を出しているが、いつまで有効なのか展望が見えない。規制が復活した場合には、経済的に打撃を受けることになる。
  • 避難所は縮小するが、仮設住宅などの住まいの確保はこれから。退院先を確保できない患者が医療機関の病床や老健福祉施設のベッドを塞いでいる。在院日数問題を解決できなくなる。回復期病棟の各種基準もクリア困難となる。
  • 施設基準の問題だけでなく、マンパワー不足も深刻。長期には乗り切れない。それでなくても、東北地方はスタッフ不足で休眠ベッドが多い。


# 今こそ医療期間の連携強化が必要

  • 仙台市医師会は、かかりつけ医の機能回復に取り組み、成果を上げた。
  • 一方、入院機能に関しては、県の担当だったが、調整機能は全く働かなかった。急性期病院側からみても、震災直後は情報収集が困難であり、どこの医療機関が対応可能か情報集約されていない状態だった。医療圏の病床がどの程度稼働しているかが全くわからなかった。
  • 老健福祉施設の状況も把握できなかった。
  • その中で、個々の病院の空きベッド情報を招集したうえで、速やかに紹介するシステムの運用が開始された。急性期病院の負担解消に役立った。
  • 今後のことを考えると、脳卒中や大腿骨頚部骨折で行われているような機能連携の仕組みを意識的に確立していく必要がある。


 それぞれの医療機関が自らも被災しながらも、地域の医療需要を必死に支えていることが明らかになってきた。課題は山積している。未曾有の大災害であり、今後数ヶ月から1年程度は厳しい状況は続く。地域状況をふまえた各種規制の柔軟な運用を厚労省に求める必要がある。一方、今回の震災をきっかけとして、医療機関の機能分化と連携を推進する機運が高まっていることも強く感じる。